みゆねこのブログ

すべての生きにくい人に寄り添うブログ

他人と自分とのちがいではなく、共通点をみつける (ΦωΦ)

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こんにちは、みゆさんです (ΦωΦ)

あなたは自分とまわりの人たちとの間の「ちがい」を見つけやすい人でしょうか?それとも「共通点」を見つけやすい人でしょうか?

私は他人とは「ちがい」を見つけやすい方で、そのちがいを見つけては自分がダメだと思ったり、劣等感を抱いたり、自分はみんなとちがう変人だと思ったりして、自分で勝手にアウェイ感を感じたり、孤独に陥りがちである。

特にこれと同じ傾向があるのが、オタク系、非リア系の人たちなんじゃないかと思う。😐

その思考の傾向が、リア充と非リア充という、人間を大きく分けて2種類に分断する思想をつくりだした要因になっているのかもしれない。😓

他人とのちがいばかり目についてしまうと、自分が劣っていると思い込みやすくなったり、反対に自分が人より勝っていると傲慢になったりする。

自分には彼氏・彼女がいないのに、他の人みんなにはいる。自分はお金がいつもないのにあの人はいつもお金持ちである。自分は服がダサいのにあの人はいつも流行の服を着ておしゃれだ。自分には友達がいないのに、あの人はいつも友だちに囲まれて楽しそうだ。。。😭

自分と他人の間のちがいを探し出したら切りがない。

あまりにこの傾向が強いと、自己否定につながるし、自分自身を傷つけるようになってしまう。

 自分を慈しみ自分に優しくするというセルフコンパッションの考え方では、他人と自分のちがっているところではなく、「他人との共通するところ」に目を向けるという。

それはたとえば、となりにゴリゴリのリア充のイケてる若いファッショナブルな美男美女のカップルがいたとする。このような人たちと非リアの中年独女のあいだに共通点を見いだすということである。💧

うーん、おそらく、「日本人である」とか、「日本語を話す」、「人間である」、くらいしか思い出せないが、まあ共通項と言えば共通項である。

これがアメリカ人となると、共通点は「人間である」「地球人である」というさらに大きい括りになるだろうが、一応あることはある。

まあどんなに自分とかけ離れていると感じるタイプの人間であっても、犬や猫などの動物よりかは共通する部分が多いことは確かだ。🐶🐱

私は仕事で接する若いリア充の学生の客があまり好きではないが、とりあえず同じ人間であり、同じ土地にいま居るという点が同じなわけだから、自分に優しくするように彼らにも優しい気持ちで接しようという気になる。

 また小さい子供連れの若い夫婦の家族とかを見ても、どうしても自分とは別の世界の人たちだなあ、と思いがちなのだが、それでも同じ日本人であり、同じ日本という国家の下に生活をしている一市民なんだと考えれば、まあ仲間と考えることができよう。

人が幸せになるためには、他人を敵ではなく仲間だと思うことが大切だと、アドラーの本を読んで知った。

今まで慣れてきた思考のクセを変えるのはむずかしいけれど、自分と他人のあいだに共通点を常に見いだしていこうと思う。

 

 みゆさん (ㅎωㅎ*)

 

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ネイティブの発音は必要ないが、カタカナ発音には注意かも ٩(๑´0`๑)۶

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こんばんは、みゆさんですo(・ω・。)

語学を習得する際、よく言われるのが「正しい発音で話すこと」である。

これはごもっともであるし、とても大切なことだと思う。

しかしながら、日本人が大人になってから外国語を学ぶとき、だいたいの場合はそれがむずかしくなる。

英語の場合は特にハードルが高く、母音と子音のすべての発音を完璧にしたり、各語彙のイントネーションやアクセントを完全にマスターするという技をやってのけるのは、残念ながら子供の時、それも9歳くらいまでである。

しかしなにも、私たちが英語を話すためにネイティブスピーカーのような発音である必要はないと思う。

じっさいに英語を話せる日本人はたくさんいるが、彼らの多くはかなり日本語アクセントが強い。しかしちゃんと外国人とコミュニケーションがとれている。

特に日本に来ている海外の人は日本人の英語に慣れているから、多少のカタカナっぽい英語でも通じることが多いのだ。

大事なのは「伝えたい」という気持ちなのである。

しかしそうはいうものの、やはり出来る限り、正しい英語らしい発音ができることを目指して学び努力することは大切である。

特に日本ではなく海外だと、日本語訛りの強すぎる英語は通じないことが可能性が高いからだ。

こんなおかしな話がある。

そこ昔、英語がまったく話せない知人の1人がアメリカに旅行に行った際、マクドナルドで牛乳を注文したという。

思い切りカタカナ英語で「ミルク」と言って注文したところ、なぜかコカコーラのMサイズが出て来たという!

なぜそんなことになったのか、後から考えたら、知人はカタカナの発音で「ミルク」といった。つまり「MI・RU・KU」と3音節で言ったわけだ。

しかし本当の英語は「Milk」とたった1音節だけの単語である。

アメリカのマックの店員さんはMから始まる3音節ほどの単語が耳に入ってくるので、1音節のMilkだと思わなかったのだろう。

じゃあMから始まる大体3音節くらいの飲み物だったら「Medium coke( Me・di・um  Coke)」かな?まあそれでいいや、ってかんじでコカコーラのMサイズを出してきたのだと思う。

やはり英語の単語の正しい音節数はちゃんと学んだ方がいいだろう。

もうひとつのおかしな話としてこんなエピソードがある。

カナダに住んでいたとき、当時の日本人の友人がアイスクリーム屋さんで、バニラアイスクリームを注文したら、なんとバナナ味のアイスクリームが出てきたのだ。

やっぱりこの友人もカタカナの日本語のような平たんな言い方で「バニラ」と言ったのだ。

こんなことがなぜ起こったかというと、日本語のカタカナのバニラと、英語のVanillaのイントネーションが全然ちがうからである。

英語では「バニ〜ラ〜⤵️」と語尾を気だるい感じで下げるのだ。

カタカナの発音でバニラと言っても、「V」の発音ではなく「B」に近い発音になってしまうし、語尾のイントネーションが平たんなので、店員さんはバニラと理解できず、「B」で始まるやつだからバナナだろうと思って、出したと思われる。

何も格好をつけてネイティブスピーカーのようないかにも英語っぽい発音である必要はないと思うが、なるべくカタカナから遠ざかり正しい英語に近づくように努力はするべきだと思う。

相手に通じなければそもそもコミュニケーションが始まらないのだから。

 

みゆさん(。☌ᴗ☌。)

 

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私たちはスキーマによって思い違いをする |д・´)

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こんばんは、みゆさんです(*´д`)o

さて、あるとき誰かが箱の蓋を開けた途端に「あ、塩をわすれた!」と言いました。

あなたはそこからなにを推測するだろうか?

まず「塩」といっているので中身は食べ物だろうと思えるし、塩を必要とするような野菜やゆで卵だったのではないかと推測するだろう。

また中には入っていないだろうと予測を排除できるもの(動物、本、楽器など)も推測できるし、同時にその箱が道具箱とか裁縫箱とか小包ではなく、弁当箱だと推測もできる。

じゃあ「その生徒は学校で叱られることを覚悟した」という言葉をきいたら、私たちはなにを推測できるだろうか?

もちろんその生徒が学校でなにか問題か何かを起こしたから、先生に叱られることを覚悟している、という場面を多くの人がイメージできるだろう。🏫

しかしここで、私たちが「学校」という言葉をきいて思い浮かぶのが、「学校の建物は古い」「学校は家のすぐ近くにある」ぐらいの情報しかなければ、上記の生徒の状況を思い出すことは不可能だろう。

私たちがこの文を理解できるのは「学校には先生がいて、先生はときには生徒を叱ることがある」という情報を思い浮かべることができるからである。

これらは心理学用語で「スキーマ」と呼ばれる、経験を抽象化・構造化して得られる知識、互いに関連し合った概念の集合体で、特定の話題、出来事、物などについて、人が理解したり考えたりするための、文化的枠組みで、「理解の枠組み」と呼ばれるものである。

私たちが学習した経験や知識は長期記憶という貯蔵庫みたいな所に保存されるわけだが、その情報量は膨大すぎるから、バラバラに保存されているのではなく、スキーマ(枠組み)で保存されているという。

だから私たちは見聞きする物事をすべて自分の頭の中のスキーマという効率のよい概念のフィルターを通して理解する。🤔

しかし、これが様々な思い込みやステレオタイプを生み出すこともある。

イギリスの大学のある実験では、学生たちに「幽霊の戦い」と題するインディアンの民話を読んでもらい、一定期間経過後にその民話を再生するという課題をやってもらったところ、多くはオリジナルとは内容が違ったものになっていた。

なぜならば、インディアンの民話はイギリスの大学生にとってはまったく異文化のものであり、理解しがたい部分が多くあったからだ。

そのため学生の再生文には、もとはなかった言葉がつけ加わったり、反対に省略されてしまったりして、学生が持っている知識や文化的背景に沿って、話のつじつまが合うように変形されていた。🔀

このような現象はきっと、私たちは日常的に頻繁に体験しているのではないだろうか?

そもそも私たち1人1人が違うスキーマを持っており、違う概念の枠組みでものごとを捉えていると考えれば、ちょっとした2人の人間の会話の間にも、すれ違いや思い違いが起こっていても不思議はない。

例えば2人の人間が今夜、町内のパトロールのため夜回りをしに行く予定があるとする。

2人は人気のない薄暗い公園とか神社辺りにも夜回りをしに行かなければならないとする。

そのとき1人は「人気のない夜道は物騒で危険だ」というスキーマを持ち、もう1人は「夜の神社や公園辺りには幽霊がでるから怖ろしい」というスキーマを持っているとする、そうなると前者は犯罪防止のための護身用のグッズを携帯し、後者は塩や数珠などの悪霊除けのグッズを持ち歩くだろう。📿

 別の例えだと、日本人は「食事のとき食べ物を残すことは作ってくれた人に失礼だ」と考え、中国人は「食事のとき食べ物を残すということは食べきれないほどたくさんご馳走してくれたということ」と考える。

だから日本人は多少無理してでも料理を全部食べようとし、中国人は料理を平気で残すのである。

これらは日本人と中国人で、食事に対する文化的なスキーマに違いがあるということである。

ある集まりで、誰とも話さずに1人で孤立している人がいるとする。

別のAさんは「人と話せない人は人見知りでシャイである」というスキーマを持ち、また別のBさんは「誰とも話さず1人でいる人は人嫌いで周りの人を見下している」というスキーマがあるとする。

そうすると、誰とも話さずに1人で孤立している人に対して、Aさんは自分から声をかけ打ち解けようとしたり、仲間に入れてあげようとするのに対し、Bさんは反対に冷たい目でみたりイヤミを言ったりするかもしれない。

とにかく私たちの世の中のものごとの捉え方はすべて、自分たちの知識と経験を構造化して作り上げたスキーマで決められる。

そしてさらなる様々な経験を通して、そのスキーマ自体を作り替えることもできる。

積極的に様々な新しい知識や経験を積み上げることで、今までのステレオタイプや思い込みや差別心を生みだしていた古いスキーマを作り替えることができるということだ。

大切なのは、まずは私たちの脳にはこのような機能が備わっているということを知っておくべきで、それゆえに「物事のすべてをそのまま正しく理解しているとは限らないよ」ということを常に理解しておくことだと思う。

 

みゆさん◟꒰◍´Д‵◍꒱◞

 

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連休について~うれしさと恐ろしさ~(世間は10連休、私は仕事である)(ーー;)

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こんばんは、みゆさんです(・ω・)

あともうすぐで世の中は10連休のGWですね。

あなたはちゃんと10連休やすめますか?

私はここでいつも書いているように、現在販売業の仕事をしているので、一番の稼ぎ時だから仕事に出ていることの方が多いと思う。

まあその代わりGW後の平日にその分休めるので、いいかな?って感じである。

しかしこの仕事をする前までは、ずっと平日5日勤務のフルタイムの仕事しかやったことがなく、それまでは土日も祭日も年末年始もGWも休める仕事だった。

しかし仕事が嫌いで仕方なかった頃は、連休の最終日がイヤでたまらなかった。

気分がだんだん重たくなってきて、明日からまた仕事が始まると思うと、休みの期間にどっさりと貯まった大量の仕事に追われると思うと、憂鬱で憂鬱で仕方がなかった。

そのような思いで働いている社会人の人は世の中にいっぱいいると思う。

日曜日の夜になるとサザエさん症候群日曜日の夕方に始まるテレビ番組『サザエさん』を見て、明日が月曜日で出勤・通学しなければならないと考えてしまい憂鬱になる症状の俗称)になり、だんだんと気持ちが暗く落ち込んでくる。

特に連休の最終日になると、ひどい人は抑うつ状態になり泣いてしまう人もいるという。

なんと悲しいことだろう。

連休の最後の日とはいえ、まだ丸1日あるのだから、思いっきり自分の好きなことをして過ごせばいい。

しかし、私も経験があるがそうはならないのである。

今日の夜寝たら次の朝が来て、またあのイヤなツラい日々が始まると考えると、楽しくなんて過ごせないのである。

私は今はパート勤務なので、一月に働く日数は少ないけれど、それでも連休の最後の日は気分があまり乗らないことがある。サザエさん症候群とまではいかないけれど、なんとなく憂鬱な気分になるのは避けられない。

なぜなら仕事がそれほど好きではないからである。

パートの私でもそんな具合なのだから、正社員で会社に行くのがツラくて仕方のない人は、10連休の最後の日を無事に過ごせるのだろうかと心配になる。

連休が長期であればあるほど、その分仕事は溜まる。大量の仕事を一度に処理しなければならないなら、長期連休なんていらないから、間に何日か出勤日があれば、少しは余裕のある働き方ができたのに、と思ってしまうだろう。

下手したらもう会社には戻らなくなってしまう可能性もある。

あまりの憂鬱さに本格的なうつ病になってしまうかもしれない。

最悪の場合は自殺してしまう人だっているかもしれない。

それほどまでに会社に行くのがイヤ、その仕事が嫌いなのならば、はっきり言ってすぐにでも辞めるべきなのだが、日本の企業はなかなかそう簡単にはいかないことがある。

しかし近い将来にはその会社を辞めることを見据えて、とりあえずその場しのぎの対策としては、

「連休の最終日にあえて外出をする予定を立てる」

ことである。

ふつう長く続いた連休の最後くらいは家でのんびりしようと考えるひとが多いかもしれない。

しかしそうではなくて、最終日こそ明日の仕事についてなるべく考えないですむように、人と外で会う用事を作ったり、映画や舞台やミュージカルやコンサートなどを観に行ったり、脳に刺激を与え、塞ぎ込んだ気分を紛らわせる工夫が必要である。

また自然の中で体を動かすアクティビティをしても気分がスッキリするかもしれない。

そして体を疲れさせて、夜にはぐっすりと何も考えずに眠ることである。

ただしつこくなるが、連休の最後の日に、あまりにも会社に行くのがイヤだという理由でうつ状態になってしまう人は、その会社はもう辞めたほうがいい。

自分の健康と寿命を引き換えに給料をもらっているようなものである。

1番ベストな楽しみワクワクな時は、翌日から連休の前日の仕事終了後だと思う。

この時が1番の至福の時間だといっても過言ではないだろう。

一度連休が始まってしまえば、あとは1日など早くどんどん終わりに近づき、あっという間に終わってしまうものなのだ。

そして新たな仕事の日々が始まるのである。

連休の前日の仕事終了後、もしくは休日1日目の昼間のままずっと時間が止まってほしいと思ったこともある。

ほんとうならば、明日からの仕事がまた楽しみで仕方がないと思えることが、1番のしあわせなのだろう。

そんな人生を送ることができるように、模索しながら生きていこう。

 

みゆさん d( ̄  ̄)

 

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やめられないお菓子。甘い物、スナック菓子、、、Σ(・ω・;|||

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こんばんは、みゆさんです(/ω\)

あなたは甘いお菓子やスナック菓子が好きでしょうか?

そしてチョコレートだったら1人で板チョコを1枚(個別包装のやつなら1枚分)食べてしまったり、1人でポテトチップスを1袋食べてしまったことはないだろうか?

おそらく何人かの人はYESと答えるのではないだろうか。

もしそうならば、あなたは糖質中毒であり、脂質と糖質に相当依存している状態だろう。

特に砂糖の入ったお菓子を食べてばかりいると、糖質依存症になり、毎日食べなければいられなくなるという。とても依存性、中毒性の高いものなのだそうだ。😱

糖質は別名「マイルド・ドラッグ」と近年では呼ばれており、摂取しすぎれば、アルコールやコカインなどの薬物となんら変らない働きをするのだという。😱

確かに甘いお菓子を食べると私たちは幸せな気分になる。

「しあわせのパンケーキ」というパンケーキ専門店が流行っているくらいなのだから。🥞

パンケーキ、クレープ、アイスクリーム、大福、どらやきモンブラン、ショートケーキ、チョコレート、菓子パン・・・🍨🍰🍡

私たちは甘いものが大好きで、休憩時間や疲れたりしたときに、すぐに甘いお菓子に手を出してしまう。

そして食べると気分が高揚しハッピーな気分になり、疲れも取れたような気がする、ほんの「一瞬」!

そう、それはたった一瞬の出来事である。ほんの短い10分くらいの話である。

だからすぐに他の甘い物が食べたくなる。次から次へと食べたくなってくる。

甘い物を食べた時の快感が消えて、甘い食べものもなくなってしまったとき、気分は急降下し、どっと疲れが出てきて、ひどい時はうつのような症状が出てくる。

だからまた糖質を求め、甘いお菓子を食べてしまう、気分が楽になる、嬉しくなる、ホッとする、一瞬脳が活動的になる、、、、

しかしその効能は長続きはせず、時間が経てばまた抑うつ状態に戻る。。。。

これは完全な糖質依存症のバッド・スパイラルの典型である。😵

またポテトチップスやフライドポテトやラーメンなども依存性が高い。🍜🍟

これらは甘くはないが、じゃがいもや麺類などの穀物には糖質が多く含まれている。

そして人はまた、脂質のある食物が好きである。

「油と塩」の組み合わせというのは、人間にとってもっとも美味しく感じる、食欲をそそられる味なのだそうだ。

そこに麺類やごはんやパンなどの穀物の糖質が加わることで、最強に依存させる食べ物になるという。

話によると、とくにラーメンは美味しくてみんな大好きだが、あれほど危険な食べ物はないと言われている。🙀

私もラーメンは大好きで時々食べに行くことがある。

人によっては週に何度もラーメンを食べに行く人がいる。それは完全に依存症に陥っているということであり、健康のことを考えると決してよろしくないと言われている。

糖というのは脳内報酬物質を簡単に引き出せるものだと言われる。

つまり何も努力をしなくても、糖を口にするだけで、インスタントに脳に快楽を与えることができ、気分がよくなれるのである。

つまりこれはまったくアルコールや薬物と同じ働きをしているということであり、まさしくマイルド・ドラッグなのである。💊

私は以前、深刻な糖質中毒であり、完全な糖質依存症であった。そしてまた最近も少しその傾向がでてきた。😱

毎日のように朝、おやつの時間、夕方に甘い物を食べていたこともあった。

以前はパスタに依存していたことがあり、ものすごい量のパスタを茹でなければ、満足できなかった時期があった。パスタもかなりの糖質の含んでいる食物だ。🍝

うつ症状が出るだけではない。やはり確実に太っていく。

そして血中脂質量(コレステロール値)が高くなっていく。

健康にとっても非常によくないというわけだ。

ひどい場合は肝臓にも負担がかかってくることもあるという。

またお菓子や脂質、糖質を多く含んだ食べ物を食べることをストレス解消の手段にしていたりすると、他の活動を一切やらなくなってしまう怖れも出てくる。

仕事でストレスがたまるたびに、おいしいご飯を食べ、スイーツを食べ、間食をして気を紛らわせようとすると、体も気分も重くなって非活動的になってくる。

本当ならば運動をしたり、他の活動的なことをして気を紛らわせるのが一番いいのだが。

そう簡単にはいかないものだ。💧

お菓子や唐揚げやラーメンを食べること自体が楽しいことなのだから。🎶

しかし明らかに糖質依存というのは健康によくない。体に毒だ。

だからなんとかそこから抜け出せるように画策していくしかないだろう。

 

みゆさん (´⌒`。)

 

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「パーソナルクエスチョン(個人的な質問)」を平気でしてくる人の気が知れない∧( 'Θ' )∧

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こんばんは、みゆさんです∩^ω^∩

あなたは誰かに「パーソナルクエスチョン」、日本語だと個人的なプライベートに踏み込んだ質問を、されたこと、またはしたことがあるでしょうか?

例えば、「年齢はいくつか」「結婚をしているか」「子供はいるか」「彼氏/彼女はいるか」「収入はいくらか」「宗教は何か」「支持する政党はどこか」などが、いわゆるパーソナルクエスチョンと欧米文化では呼ばれている。

そしてこれらの質問はどれも個人的なその人のプライベートに踏み込んだ質問であり、デリケートな質問であり、誰しもがみんな訊かれても気にならないという内容の質問ではないため、欧米文化圏では、初対面の人やまだそれほど親しくなっていない人には聞くべきではない、聞くのはマナー違反だと考えられている。

最近では日本でも少しずつ浸透してきているようだが、まだまだだと思う。

まず年齢をきくのは、学生さんとか明らかに若い年代の人ならば構わないと思う。しかし基本的に女性には聞かない方がいい。最近では見た目が若く見える人も増えているからだ。女性は根本的に自分の年齢は言いたくないものだ。

彼氏、彼女がいるかの質問もとても無神経な質問だ。恋人をつくることはすべての人にとって簡単ですぐにできることではないのだ。なかには彼氏、彼女ができないことがコンプレックスになっていて気に病んでしまっている人だっているのだ。

未婚か既婚か、子持ちか子持ちじゃないかを、親しくなっていない人に自分から質問するなんて言語道断だ。

しかし、もしこれから一緒に同じ仕事場の同僚として働くというような人ならば、場合によってはアリになるかもしれない。だがその質問の答えを聞いた際、いかなる答えであっても、それに対しての自分の反応には気をつけなければならない。

私は今までの人生の中で2回、働き出して数日目くらいの職場で2人の女性に、まだ全然親しくもなっていないのに、パーソナルクエスチョンをされてイヤな思いをしたことがある。

2回とも別の会社、別の人だが、質問は同じで、いきなり「お子さんは?」であった。

私は未婚だし、もちろん子供など産んだことはないので、「いないです。結婚もしてませんから」と答えたら、なんと返ってきた答えは2回とも、「ええええ〜〜っ!?」と驚くような言い方をされたのだ。

私は言葉を失ってしまった。

一体その驚きの意味は何なんだろう?

いずれにせよ、彼女たちのリアクションに、私はとても不快な思いを抱いたのは確かだ。

なぜなら、まず私が当然結婚をしているという前提で子供がいるのか聞いてきている。

いくらある程度の年齢になっているからといって、結婚してるかどうかなんて聞いてみなきゃわからないのに。

また例えばもし結婚していたとしても、子供が欲しくてもできない人だっている。そのような人に向かって「お子さんは?」なんて軽々しく質問などしたら、どれだけその人がイヤな思いをするか想像できないのだろうか?

ちなみにこの2人の女性は共に50歳くらいで既婚者で子供が2人いる人だった。

きっと周りには自分たちと似たような人間ばかりしかいなかったから、世界に対する視野が狭かったのかもしれない。

私の持論なのだが、女性は何歳になれば結婚をするのが当たり前で、子供を持つことも当たり前だと、なんの疑問もなく信じ込んで、それ以外の人が存在するということに対して想像が及ばない人というのは、LGBTに対してもじつは理解が及ばないような人だと思う。

また宗教や政治的思想の話は、ある程度仲良くなっていたとしても、職場のような表面的な関係ならば、決してしない方がトラブルが少ないと思う。

信仰や思想のちがいは常に紛争が起きる火種になりやすいものだからだ。

他にも出身校がどこなのか聞いたり、病気のことを聞いたりするのも、パーソナルクエスチョンになるのかなあと思う。

しかし誰も悪気があってこれらの質問をしているわけではない。

それはわかっているが、人には聞かれたらイヤな質問があり、それの多くが今日あげたパーソナルクエスチョンなのである。

充分に気をつけたいものである。

 

みゆさん( ̄^ ̄)ゞ

 

 

動物は一度も飼ったことがないが、好きである @(・●・)@

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こんばんは、みゆさんです (・∀・)

あなたは現在、なにか動物を飼っていますか?または過去に飼っていましたか?またはこれから飼おうとしていますか? 🐯🐼🦁🦊

私は人生の中で、イヌやネコやウサギやハムスターやインコに代表されるペットと呼ばれるものを飼ったことがない。🐦🐰🐶🐱

しかし動物はとても好きである。

なぜペットを飼ったことがないかというと、いくつか理由があって、まずは私の父親が喘息持ちでアレルギー体質だったことと、母親が動物がキライだったこと、そして私自身が猫アレルギー持ちであり、それと同時に動物の世話をちゃんと出来るタイプの人間ではなかったことである。

動物を一度も飼ったことがないと言っているが、じつは小学生の時にお祭りの金魚すくいで買った金魚を二回飼ったことがある。

しかし、すくった時点ですでに金魚が弱っていたことと、餌のあげ方や水槽の水の取り替え方をきちんと理解できていなかったため、ちゃんと世話ができず、二回とも金魚をすぐに死なせてしまった。😭

そして金魚の埋葬も母親や従姉妹にやってもらったのだから、私はどうしようもない無責任な子供だったわけだ。😭

これについては今でも罪悪感が残っている。

しかし前述したとおり、私は動物そのものはとても好きで、動物園のあらゆる種類の猛獣や草食動物や珍獣なども好きだ。

自分は飼うことがなくても、ノラ猫を見つけたら嬉しいし、チャンスがあれば撫でたり、後をつけたりすることもある。

またお散歩中のワンちゃんを見かけるたびに凝視したり、飼い主が触っていいですよと声をかけてくれれば、必ず触らせてもらう。

もっぱらネットで動物の動画を観るのは趣味の一つで、YouTubeニコニコ動画では色んな種類のイヌやネコ、ウサギ、モルモット、カピバラ、パンダ、ウォンバット、ラッコ、アザラシ、ハシビロコウなどの動画はよく好んで漁って見ている。

ありがたいことに、今はネット社会になり便利になったから、動物を実際に飼わなくても、動画を観ることで動物に癒されることができる。

しかしながら、ほんとうに動物好きな人は、やっぱり実際に飼って育てるのだと思う。

私はやはりそこまでは行かない。🤔

だから真の意味で動物が好きなわけではないのだと思う。

そもそも自分の親が動物が好きでないというところが、もうダメなのである。

子供の頃から家族みんなでペットを飼っているような家で育たなくてはダメなのだ。

しかしこれからも癒しを求めて、動画をみたり、よその家のイヌやネコやノラ猫たちを見て楽しもうと思う。

 

みゆさん  (o^^o)