みゆねこのブログ

すべての生きにくい人に寄り添うブログ

自分自身は一つの会社みたいなもの (=´∀`)

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こんにちは、みゆさんです (*☻-☻*)

私たちは「自分はこうしたい」「自分はこうなりたい」と思っていても、中々自分を思い通りに動かせないことが多々ある。

それもそのはず、私たちは「一人だけの存在」ではないからだ。

それはどういうことなのかと言うと、「自分」というものは、ひとつの統一された自我ではなく、複数の自我が存在した一つの集合体みたいなものだということだ。

"オタキング"こと岡田斗司夫が言うには、人間一人一人は「株式会社:自分」のようなものであり、思い通りに働いてくれない部下がいっぱいいる小さな会社に例えられるという。

リーダーの自我がいて、それが朝礼で部下全員に「今日からダイエットを始めて10キロ減量するぞ」と指示を出しても、その時は全員が「はいわかりました」と答えるんだけど、じつは面倒くさいと後からブツブツ言う奴もいて、「ストイックな部下」や「ルールを守る部下」や「見た目を気にする部下」は積極的に運動やら摂食に励もうとするのだけれど、「不精な部下」や「食いしん坊の部下」などは、スキがあれば運動をサボろうとするし、夜中にコソコソと冷蔵庫を漁ってつまみ食いをしたりする。

つまり自分の意志なんてものがあっても、それは一部のリーダーの意志であり、欲望の強い部下たちはそれとは逆の気持ちを持っているのだから、自分の意志を一方向に向けて、何かを達成しようとしても無理なのである。

どうしても何かの目的を果たしたいと思うならば、欲望の強い部下たちをなんとかダイエットに参加させるように、ご褒美を与えるとかするしかない。「ジョギングをこれだけやったら欲しかった新しいバッグを買ってあげるよ」とか、「食べるのをこれくらい我慢したら温泉旅行に連れて行くよ」とかして、モチベーションを上げるより他ない。

とにかく私たち人間はバラバラな自我の総合体なのだ。

1人の自分の中にじつは沢山の個性があるのだ。

そう思えば、例え自分自身であっても制御できないのは当然であり、あらゆることが上手くいかないことがあっても当然なのだと思えるようになる。

又、稀に私たちはそれほど努力をしなくても、というより努力を努力とも思わず、楽しめて、良い成果を出せて、寝食忘れて取り組めるようなこともある。

それは一つの自我である部下がよっぽどパワフルで、他の怠惰な自我の部下を黙らせる力がある状態の時に起こるんじゃないかと思う。

いずれにせよ、バラバラの自我をたったひとつに統合することなどは不可能である故に、人間というものは常に迷い、フラフラとした存在であるということを知っていれば、「自分なんてダメだ」などと卑下することは少なくなるだろう。

 

みゆさん ╰(*´︶`*)╯

 

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日本人に、さらに「おもてなし」の精神はいらない (ㅎωㅎ*)

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こんにちは、みゆさんです (=TェT=)

日本には「おもてなし」という文化が昔から根付いている。🌳

そのため日本人は何も意識しなくても、他人に気を遣うことができるし、互いに気持ちを汲み合い、平和に人同士で交流することができる能力が備わっているという。

それなのに、近年はビジネスの世界においても、その「おもてなし」の精神を意識しろと強制してくるようになった。

CS(Customer Satisfaction)=顧客満足、を過度に意識し始めてから、この国の人と関わるすべての職業に従事する人にとって、ビジネスライフが地獄になった。😱

CSの精神は元々は、個人主義の強い自己中心的な欧米人のビジネス能力の向上のための概念であり、元々「おもてなし」の精神を持ち、自分よりも他者との関係を重視する日本人にはまったく必要のないものだった。

それなのに、欧米コンプレックスのある日本は、この欧米人向けのCSの概念を日本でも取り入れたものだから、日本人は過度にお客を「お客様扱い」しなければならなくなった。😰

これは販売業、接客業だけに留まらない。人と関わる職業のすべてにおいてである。

営業、鉄道・バス関係、医療関係、介護福祉関係、銀行、学校などの教育現場など、人と関わる職業の人は、サービスを受ける人をすべて「お客様」として恭しく接し、気分を害さないように、いい気分でいられるように、心遣いをしなければならない。

そうした結果どうなっているか?

顧客の自己愛が不必要に刺激されて、万能感を得たのか、自分はお客様であるからどんなワガママを言ってもいい、どんな要求をしてもいい、と勘違いするようになった。

それが現在蔓延するクレーマーのようなモンスターたちを生み出したのだ。😈👹👽💀

人と接する仕事は別名「感情労働」と呼ばれている。

どんなに理不尽で失礼でマナーの悪い客に対しても、決してイライラしたり、怒りの感情を見せずに、感情を偽って穏やかに接しなければならない。

プロ意識の高い人になると、どんな客に対しても、心の底から好意的な感情を持つように、演技ではなく、感情自体もコントロールできるのだという。😲

このような、自分の本当の感情と、それを押さえ込み偽った感情とのギャップがある状態が何年も続くと、だんだんと心は蝕まれていく。

ストレスは素直であり感じたらそのまま溜まっていくものだ。

また客を「お客様だから」という理由で過度に大事にしすぎると、要求を断れないことで、時間外労働が増えたりすることに繋がり、過重労働になっていく。

こんな状態が続けば、過労による不眠が起こり、そしてうつ病にまで発展する。

このときに休業するなり、病院に行くなりして適切な対処ができるならいいが、最悪の場合は過労死や、ひどい場合は自殺をすることもある。

私自身は販売・接客の仕事をしているが、理不尽なわけのわからないクレームをつけられたことが何度かある。

私の場合はあえて、お客さんを過度に「お客様扱い」しないようにしている。

ごく自然な気遣いをするくらいで、こびへつらったりするのは返ってお客がイヤがることもあるからだ。

マナーや態度の悪い客にはこちらも愛想悪く接するし、いつも心の中で「早く帰れこのクズ」などの罵声を発している。😠

お金をもらって仕事をしているくせに何ごとか!と思う人もいるかもしれない。

しかし本当にイヤ~な感情を抑えこんで、180度ちがう感情を出すということは非常にむずかしいのだ。神業なのである。

そういう意味では自分は素直な感情をわりと出しているので、うつになったりするリスクは低いと思う。

その代わり、自分がお客の立場になってサービスを受けるときは、絶対に文句やクレームをつけたりせず、何かしてもらうごとに必ず「ありがとうございます」とか「ごちそうさまでした~」と軽く言うことにしている。

日本人が過度な「お客様至上主義」を持つことは、サービスする側にとって毒にしかならず、又、される側にとっても、歪んだ自己愛を植え付けられることで、まともな人格を崩壊させる危険性があるから、害悪といってもいいだろう。💊💀☠

あえて「おもてなし」なんて言葉を用いらなくても、間柄の文化の中にいる日本人は無意識的にでも他人を気遣える。だからそれを強制する必要などまったくない。

むしろただでさえ真面目な日本人にそれを押しつけることは、極端に言うと、仕事をしているすべての人を殺しかねない。

だから「お客様至上主義」は社会悪なのである。💀

私は今の仕事はいつクビになってもいいから、少しでもこの概念がなくなっていくように動いていこうと思う。

 

みゆさん ( ・`ω・´)

 

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家にいながら海外にいる気分になる ╰(*´︶`*)╯

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こんにちは、みゆさんです (^・∀・^)

あなたは海外旅行に行くのが好きでしょうか?

本当に好きで実際によく行く人もいれば、行きたい気持ちはあるけれど、連休が取れなかったり、お金が掛かるからという理由で行けない人もいるでしょう。

私自身も海外は好きではあるけれど、やはりお金も時間も掛かるし、正直面倒くさいという気持ちもある。

20代の頃は留学でカナダに住んでいたり、旅行にも何度か行ったことがあるけれど、とにかく行って帰るだけですごいエネルギーを消耗するのである。

しかし今の時代はネットがあるし、グローバル化が進んだおかけで、国内でも色んな国の文化に触れることができる。

まずは何と言ってもYouTubeGoogle Earthだろう。

自分が行きたいと常日頃から思っている場所の動画はいくらでも見つかる。もし日本語検索で出なければ、英語で検索すれば山のようにヒットするだろう。

そしてGoogle Earthで地図検索し、実際のその場所に今自分が立っているかのように、360度の画像で見回せる。

この2つのサービスの合わせ技で、家に居ながらもかなりその国を楽しめると思う。

また自分の行きたい国についての旅行のブログや、そこで暮らしている日本人のブログを読んだら、もっと詳しい状況がわかって、より想像力が増すと思う。

また日本の都市部にはいろんな国の料理が食べられるレストランがあるから、食べログなどで検索して、実際に行って食べてみるのもいいかもしれない。

そしてその味を覚えておいて、ネットでその国の家庭料理のレシピを見ながら、自分で作って食べてもいいだろう。食材は新宿の新大久保みたいな多国籍な街だと売っているらしい。

カルディとか成城石井とかユニオンなどの輸入品のスーパーでその国の食べ物を買ってもいいだろう。

そしてその国の音楽をかけながら、その国の食べ物を食べ、グーグルマップ巡りをし、YouTubeの動画を観る。

そうすると益々臨場感が増して楽しい気分になるのではないかと思う。

また私が以前によくやっていたのが、旅行会社のパンフレットをもらってきて、その国のツアー行程を見て、それを頭の中で再現することである。

そのようなことを繰り返しているうちに、もうその国に行った気分になるだろう。

それくらい人間のイマジネーション能力というのは高いのである。

もしそれでも、その国にやっぱり実際に行ってみたい!という人は、

「絶対にそこに行くべきである」

それほどの興味・関心・情熱があるということは、その国に何かしらの縁を感じているということだから、直感からの声かもしれない。ぜひ行ってみた方がいい。

とにかくこのネットの世代に生きていてよかったと思う。

海外に実際に行かなくとも、海外を体験することが可能になるからだ。

これから先VR(ヴァーチャルリアリティ)がさらに技術革新されれば、もっと臨場感の高い、現実と遜色のないヴァーチャル海外旅行が楽しめるようになるだろう。

そのようになる日を心待ちにしている。

 

みゆさん ╭( ・ㅂ・)و

 

 

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雰囲気ブス、雰囲気美人、雰囲気イケメン (*・ω・)ノ

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こんにちは、みゆさんです (゚ω゚)

あなたの周りに、顔やスタイルの造形は至って普通なのに、なぜか美人やイケメンに見える人っていないだろうか?

私自身の職場がある町は、リア充の溜まり場みたいな所で、そこには本物の美男美女も多く来るけれど、ほとんどの人は雰囲気美人や雰囲気イケメンたちである。

一方、反対に顔やスタイルだけを見たら結構いい線をいっているのに、なぜかブスに見える人っていないだろうか?

前者の人たちも後者の人たちも、顔かたちの造形のレベルはまったく同じであっても、容姿の見た目はまったく違う、いわば光と影のようなものである。🌝🌚

近年では、前者の人たちは「雰囲気美人・雰囲気イケメン」と呼ばれ、主にリア充パリピの間で多く見られる。

そして後者の人たちは、「雰囲気ブス」と呼ばれており、おとなしい系の人やオタク系の人たちが多いようだ。

一体なにが両者の間に大きな違いを生んでいるのだろうか?

それは「髪型と服装」である。👨🏼👩🏻‍🦰👔👗

はっきりいってその2点だけで、光が影に転じ、影が光りにも転ずるのだ。

雰囲気美人は、キレイに整えた女性らしい髪型をしており、服装もコンサバな女性らしいもので、適度に流行を取り入れたものを着る傾向がある。メイクは普通にキレイに整えられているようだ。

雰囲気イケメンは、ジャニーズなどのアイドルや、エグザイルファミリーのような髪型をしている人が多く、必ず流行を意識したファッションをしている。

逆に雰囲気ブスたちは、髪型がちゃんと整えられていないことが多く、ただ伸ばしっぱなしでボサボサだったり、くせ毛のままだったりする。服装は流行には無頓着なことが多く地味な感じが多い。オシャレをしている人でも、漫画やアニメの世界を意識した萌えキャラや2次元のヒーロー的であったり、ビジュアル系アーティストを意識したような出で立ちなので、どうも今風な感じではなく、浮き世離れした印象があったりして、個性的ではあるけれど、やや奇妙さが勝っており、保守的な視点からではどうしても美人やイケメンという風には見えない。

また雰囲気ブスには笑顔がなく、陰鬱な空気が漂っているという特徴がある。

私自身は若いときは雰囲気ブスだったと自負している。

ただ大人になり人と接する仕事を始めてからは、笑うようにしたり、明るく話すようになったため、とりあえず今はマシになったとは思う。

雰囲気美人や雰囲気イケメンたちは、基本的にはコンサバ(保守的)な女性らしい、男性らしい風貌の人たちなのだと思う。👫

つまり生物のメスとして、オスとして異性にモテるようにみせる容姿をしている人たちなのだ。

だから雰囲気美人や雰囲気イケメンたちは圧倒的にカップルで歩いている人が多い。

そして悲しい話なのだが、雰囲気ブスの人たちは単独で歩いている人が多いのも事実だ。😢

これはディスっているのではない、私も雰囲気ブス側の人間だと思っているから、決してコンサバな雰囲気美人のような人間にはなれないと思っているから、このような事実を淡々と書いているのだ。

つまり何が言いたいかというと、「自分さえその気になれば」誰でも雰囲気だけはイケメンや美人もどきになれることが可能である、ということだ。

みゆさん   (-_-)zzz

 

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物を無くした、しかし執着しない _φ( ̄ー ̄ )

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こんばんは、みゆさんです (*⁰▿⁰*)

私は時々物をなくしたり、置き忘れをする。

傘だって今まで何本置き忘れしたかわからないし、落し物だって何度もやったことがある。

あとで見つけられたり、誰かに拾ってもらえたらラッキーだか、時にはそのまま二度とみつからないこともある。

またひどい時は、自分ではなくて他人に自分の所有物を無くされることだってある。

しかしどんな状況であっても大切なのは、「無くなってしまった物については諦める」ということだ。

どんな大切なもので、どれだけ手を尽くしても見つからないのなら、悔やんだって仕方がない。

自分の責任ならまだしも、人に無くされた場合はすごく悔しい。でも悔やんだところでその物は返ってこないのだ。

子供の頃から、手持ちカバンやら傘やら小銭入れなど、色んなものを置き忘れしていたし、ショックだったのは、せっかく生まれて初めて行った海外旅行のアメリカのラスベガスで買ったペンダントと指輪(安ものだけど)を、帰国してから2カ月ほどで、両方とも落として無くしてしまったことだ。

また自分の鬼畜の弟には、音楽のアルバムのCD数枚、帽子、サングラス、など貸したことがあったが、すべて無くされているし、高校時代の友人に貸したXjapanのhideのビデオも返してもらってないし、弟に関しては、あんだけ人の所有物を紛失したにもかかわらず、ひとつの謝罪もなければ、逆に人を茶化すようなことをしていたし、、、

また、知らない人にお気に入りの傘を盗られたこともあるし、、、

それでも、失った物はもうないし、二度と戻ってはこないのだから、その物と「自分の縁は切れたんだ」と思って、きっぱり諦めて忘れるしかない。

そして、大事なものは肌身離さず持つようにする、体から離さない。そのように工夫をする。また大事なものは基本的に人に貸さないことだ。貸して無くされても、貸した自分にも責任があるのだから。

人間の認知能力も完璧じゃないから、どうしても散漫になることもあるし、自分が身につけていない物に関しては、注意が逸れることもある。だから物が無くなってしまうことがあるのは仕方がない。

だから忘れるより仕方がない。思い悩んでもなにもいいことなどないし、意味もない。

執着しないで、また前を向いて今に集中していきていく方がいいだろう。

 

みゆさん  ( ̄∀ ̄)

 

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自分の家の中が1番のオアシス ⊂((・⊥・))⊃

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こんばんは、みゆさんです d(^_^o)

あなたは自分の家の中、自分の部屋の中に居ることが好きでしょうか?🛋

もしそうならば、とても正しい感覚であると思う。

自分の部屋は自分にとって最も心理的安全を確保できるスペースであり、癒しや気力を養える場所でもある。🌿

一人きりで家の中に居ることは、周りに気を使うべき人やものがなく、その分心に余裕があるから、自分自身のケアが充分にできる。

まずは自分の生活環境を見直して整える時間を確保できたり。今の人生の問題点やこれからの生き方について考えたり、修正する方法をじっくり考えることができる。👤

もし1人で家の中にいることが好きではなくて、時間があれば外出して、人と会ってばかりいると、自分と向き合い内省する時間がまったくない状態になるから、後々さまざまな問題が出てくることも多い。

自分1人で自分の部屋にいることは、最も心にとって平和であり、至福の時間と言ってもいい。⏱

人は外部にいるときは基本的に戦闘状態であり、強弱の差はあれど、周りの環境や人間に気を使うわけだから、エネルギーは奪われていく。

外交的な人はよく外に出ていろんな人と会って刺激を受けることでエネルギーを増大させる、みたいなことを言うけれど、実際は外部から得た刺激を自分の知識や経験として蓄えるためには、自分一人になって、後からそれについて吟味したり、思考する時間が必要である。

外部で得た新しい情報について調べ上げたり、ネットで情報交換をしたりして、自分の知識にする作業が必要であり、そのブラッシュアップした知識や経験値を、また次の人との交流だったり仕事などで活かすことができるのだ。

だから自分の家に居る時間というのは、できるだけ確保するようにした方がいい。

その時間は、自分の生活全般をよくする養分みたいなものになるのだから。

 

みゆさん (=´∀`)人(´∀`=)

 

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すべての問題は人間関係が根っこにある (。-∀-)

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こんばんは、みゆさんです d( ̄  ̄)

もしあなたが今なにかについて悩んでいたり、不安になっているとしたら、その問題の元は人間関係にあると思う。👭

生活するお金がなくて困っているというのも、一見人間関係とは関係なさそうにみえるけれど、元を辿ると人間関係の問題が根っこにあるんじゃないだろうか。🌳🌲

例えば、家族の誰かが経済的な部分で足を引っ張っているとか。本人がお金を浪費してしまうことが原因だと思うなら、じゃあ浪費している目的は何か、周りの人によく思われたくて、見栄をはるために高い洋服やバッグを買っているんじゃないか?人間関係を繋ぎ止めるために他人に貢いでいるんじゃないか?それとも人間関係によるストレスのせいで浪費しているんじゃないか?

もし今の仕事が好きでないのなら、その大体の理由は人間関係である。

職場の人は好きだけど労働環境が悪いというのも、その悪い環境を改善するために、上司や会社に意見も要請もできなくて、我慢を強いられるということだから、そこには抑圧された人間関係があるということだろう。

悩みとか不安などの問題はすべて、他人を気にしすぎることや「人に嫌われたくない」という気持ちから生まれるのだと思う。

日本人は、個を大事にする個の文化の欧米社会の人とはちがい、人との関係を最重視する間柄の文化の中で生きる民族だから、主張をせず自分を押し殺してでも、他人との和を乱さないことを優先するのである。

そんな日本人の人間関係によるストレスは計り知れない。

個の文化だったら、もっと自分の権利や尊厳を主張するのは当たり前のことであり、それに伴い自己責任というものはより強く持たなければならない社会になる。

しかしそれが自由というものであり、一人一人の個人を尊重するからこそ、はじめて人との信頼関係も築けるものだと思う。

常に他人にどう思われるのか、周りの空気を気にしてばかりいる日本人は、人間関係の悩みが尽きない。

もし私たちが他人のことを気にしなくなって、人間関係に悩まなくなれば、おおよその問題は解決すると思う。

少しばかり自己中と周りに思われても、自分軸で生きる方が楽だということだ。

 

みゆさん ʕ•ᴥ•ʔ

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

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