みゆねこのブログ

すべての生きにくい人に寄り添うブログ

都会と田舎を比較して ・:*+.\(( °ω° ))/.:+

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こんにちは、みゆさんです (・∀・)

私は生まれも育ちも神奈川県であり、カナダでの留学期間を除けば、わりと都会の街でしか暮らしたことがない。

両親の実家も神奈川県だったし、親戚もみんな同じだし、夏休みに田舎にお爺ちゃんお婆ちゃんに会いに行くという経験もなかった。🏞

大人になってからは国内旅行に毎年行くようになったので、田舎町を散策したりすることができるようになった。

カナダに留学した際にも、私の住んでいたオンタリオ州のハミルトンという所は日本の自分の住む所よりはずっと田舎だったと思う。

田舎はバスや電車などの本数がとても少なかったり、店舗数が少ないなどの、交通や買い物の不便さは若干あると思うけれど、最近ではよっぽど最先端の流行をリアルタイムで追いかけることを楽しみにしている人以外、ネットが発達しているからそれほど不便を感じることはないんじゃないかと思う。

また田舎は食べ物が都会よりもずっと美味しいと思う。🍣🍅🍆

空気や水があまり汚染されていないから、基本である水や空気がキレイな分、野菜や果物などの農作物がよく育つし美味しい。🍑🍇

人々も都会の人よりも穏やかで、大らかで親切なような気がする。

ただ、自分が都会と田舎の暮らしのどちらが向いているのかと問われれば、都会の方が向いていると思っている。

なぜなら、私は保守的な人たちから見たら、完全に逸脱した者であり、変人だと見なされて弾かれてしまうような気がするからだ。

田舎にはまだまだ村社会の名残のようなものがあり、コミュニティーが狭く、やはり保守的な傾向が強いという印象がある。

ある年齢になったら人はみな会社に就職し、若いうちに結婚して、子供を持ち、家庭を作り、家を継いで、親の面倒を見る、という決まった人生のラインを辿ることが常識であると見なされ、それができない人間は逸脱者と見なされる、という暗黙の掟がまだあるように思える。

適齢期になっても結婚しない者や、企業に勤めず自分で起業する者とか、LGBTQの者はもちろん逸脱者であり、変人だというレッテルを貼られる。

カナダの地方の町に住んでいたときも、田舎を旅したときも、人々は温かかったし、優しかったし、居心地がよかった。

もし自分が子供のときから、そのような環境で育ち、そのような地域で教育を受けていれば、きっと適齢期になったらお見合いでもして結婚して、子供も2人とか3人とかもうけて、お母さんとして普通に幸せな人生を送っていたのかもしれない。

しかし都会というものは、人口が多く、じつに沢山の色々な人たちがいて、色んな国籍の人が存在し、様々な多様な仕事が存在し、じつに様々な人生を送っている人がひしめきあうジャングルのような所である。

だから、それだけの多様な人々や文化背景を持つ人たちを「人の人生とはこうあるべきである」などと1つの型に一色単にはめ込むことなど不可能である。

「都会には色々な人がいて、色々な人生がある」ということは、無意識レベルで都会っ子は理解しているのである。

そのような場所で生まれ育った自分は、やはり都会でしか生きていけないのかもしれない。

人は1人1人がちがう人間であり、それぞれにちがう人生がある、ということをあたりまえだと思うし、人は自由に自分の生きたいようにいきるべきだと思う。

自然が豊かで美しく、食べ物が美味しくて、人々も温かい田舎に暮らすことはとても魅力的だと思う。

それでも今の自分のような人間では、そこでずっと生きていくのはむずかしいのかもしれない。

人々は個人主義で、クールでドライだけれど、よっぽど何かの縁が発生しない限りは、都会エリアの暮らしを続けると思う。

 

みゆさん ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

 

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仕事では役割を演じるロボットでいること ( ´・ω・`)_且

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こんにちは、みゆさんです ٩(๑•̀ω•́๑)۶

みなさんの中には現在会社で働いており、人間関係に悩んでいるという人が何人かいると思う。

転職なんてすぐにできるわけではないし、しばらくはそういった状況でも我慢しなければならない。

それもそのはず、毎日行っている会社って基本的にはオアシスではないのだ。

世間知らずの人は、仕事でやりがいを見つけるとか、いい結婚相手を探すとか、会社に対して夢や希望を叶える場所であることを求めたりする。

しかし、そんなものは存在しない。

会社に勤めるということは、とても残酷な地獄に行くということである。

確かに会社には自分に働き口を与えてくれて、お給料をくれることで、自分の生命を支え、自分を成長させてくれる資金源のような側面があるのは事実である。

それでも、どんなに今は会社があなたを持ち上げてチヤホヤしてくれていたとしても、能力が落ちて、会社にとって使い物にならないと見なされた瞬間に、すぐにリストラ対象にする。

そのようなことがあると、日本の会社員は「会社に裏切られた」とか「都合良く使われた」とか言うけれど、ほんらい会社とはそのような場所であり、ユートピアではなく地獄なのである。

会社とは利潤を追求しているところであり、お友達や恋人を作る場所ではない。

赤鬼青鬼などの妖怪がたくさんいる怖ろしい場所であり、平気で奴隷のように社員を働かせたり、都合が悪くなれば辞めさせるようにあの手この手を使って退職に追い込んだりもする。

それだから、会社に自分の人生を保障してもらおうなどと考えることは愚かである。

逆に私たちはお金を稼いだり、仕事のスキルを身につけ、自分を磨く場所として会社を利用するべきなのである。

私たちは会社さまのために生きているわけではなく、自分自身のために生きているのである。

ここが日本人と海外の人たちとの会社に対する考え方の違いだという。

さて、会社で人間関係に問題がある人は、会社で自分の感情をむき出しにして、素の自分で働いているからではないだろうか。

このような地獄では、感情は一切捨てて、自分は会社の中の1人のワーカーとしての役割を演じ、ロボットになったつもりで働くほうがいい。

そして「同僚」や「課長」や「部長」などの肩書きはただの記号であり、そういう役割をしている1人の同じ人間だと理解するべきである。

上司だからといって、自分よりも人として価値が高いわけではない。

ロボットのように、ひたすら理性的に仕事に徹して、私的な感情は職場に持ち込んではいけない。仕事に対しても人に対しても、好きとかきらいも持たない。

そして会社がどうしてもイヤになったら、もっと他に自分を輝かせられるような場所を探すための行動を起こす。

自分自身がどう生きたいのか、自分をどう成長させたいのか、をつねに軸として考え、会社はその実現のための「場」の1つとして捉えるべきである。

私の場合は、今働いている販売のパートの仕事は、自分がやりたいことで食べていけるようになるまでの間、生活費を稼ぐための場として考えている。

会社は決して自分の人生の保障などしてくれるところではない。

自分の人生は自分で守り、自分で創りあげていくべきである。

 

みゆさん ╭(๑•̀ㅂ•́)و

 

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疲れやすいと思ったら、食べる量を減らす (`・ω・´)

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こんばんは、みゆさんです (・∀・)

疲れやすい人は体力がないと前に記事で言ったことがありますが、それ以外にも疲れやすい原因として「食べすぎ」というのがある。

「なんか今日はやけに疲れるなあ」とか「今日はなんかだるいし眠いなあ」というときは、決まってどこかで食べ過ぎているはずだ。

とくに砂糖の多いお菓子や、ご飯やパンや麺類などの炭水化物を多く取りすぎた後は、血糖値が急速に上がって、その後急速に下がることで疲労や脱力感に襲われたり、たくさん食べたことで、胃腸の負担が相当かかってしまうため、身体が消化活動のために多くのエネルギーを費やすことになる。

そのため体力も少なくなるし、頭も冴えなくなるし、やる気も減退するのだ。

また食べすぎると消化が充分に追いつかないこともあり、胸焼けや吐き気がしたり、腸にガスが溜まりやすくなり、便秘にもなりやすくなるので、腹部膨張感が出てきて苦しくなる。

もしどうも頭が冴えないとか、体のだるさを訴えるときは、とりあえずものを食べないようにした方がいいのだ。

水分補給だけは大事なので、水やお茶は飲むけれど、なるべく固形物は控えるようにして、一食、二食くらいは抜かしても大丈夫だろう。

とにかく胃腸を休ませる時間が必要なのだ。

じつは人は空腹くらいの方が頭がよくはたらき、機敏に動くことが出来るという。

実際、医療の現場では、手術の執刀医のお医者さんなどは、ほとんど食べ物を口にせずに仕事をしている人もいるという。

なにか口にするとしても、缶コーヒーとか小さいお菓子とかガムなど、食事とはいえないようなものだという。

私自身も仕事がある日のランチは結構少食である。小さ目のロールパンのサンドイッチを2ついつも食べている。

そうすることで、眠くなったり、だるくなったり、頭がボーっとしたりして、ミスを誘発しないようにしているのだ。

しかし、人間はストレスが溜まるとドカ喰いしてしまう。

自分は特にその傾向が強く、仕事がなかった昨日の昼食も、ご飯とおかずと味噌汁があるのに、パスタも作って食べた上、おやつにも桜餅やパンやおかきなどを次々と食べ漁ってしまった。🙀

おかげで今日の午前中まで胃腸の調子が悪く、活力が湧かずにいた。

人間食べるときは腹八分目にしておけ、というのは理に適った言葉である。🍽

たくさん食べすぎるとかえって体力がなくなる。そして疲れる。

どうしてもそのような日々が続く場合、プチ断食をやってみるといいかもしれない。

週末を使ってやる、名前のとおり少しだけの断食であり、本格的な断食ではないのだが、例えば金曜の夕食をすごい少食にするところから始め、土曜日の朝から翌日日曜日の夕食前まで、一切固形物は食べない。そのかわり水、お茶類、野菜ジュース、ヨーグルト、スープなどの液体だけ食べる。そして日曜日の夕食で、お粥からまた食事をスタートさせるのである。

胃腸の活動を休め、また体の元気を取り戻すことが目的である。

また活動エネルギーを取り戻したいと思っている人は、ぜひやってみてください。

 

みゆさん  @(・●・)@

 

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真面目と思われるのがイヤだ ( ̄◇ ̄;)

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こんばんは、みゆさんです _φ( ̄ー ̄ )

私は昔から家族や職場の人にまじめだと言われる。

はっきりいって本当のことであるから否定はしない。

しかし自分がまじめなイメージや地味なイメージを持たれるのは、すごくイヤである。😣

なぜなら私は、自分がまじめなことにコンプレックスがあるからだ。

昔からいつも憧れている自分像があり、それはロック系やビジュアル系のような、髪型も服装も耽美でアーティスティックで退廃的なファッションで身を包み、自由で破天荒な人物像である。✨

しかし実物の自分はただの普通の人の風貌であり、破天荒とかアバンギャルドからは程遠い、つまらない、くそまじめの凡人である。

昔の飲み会で、そこにいるメンバーがもし学校の教員ならば、どの教科の先生っぽいか、という話をしていた時、適度に酔っていた仕事の同僚の女から、私は国語の先生っぽいと笑いながら言われ、なぜかイラついて「ええっ?!音楽の先生がよかったのにい!」と訴えてしまったことがある。

私のなかでは、国語の先生はどちらかというと、地味目で古風なまじめな女の先生というイメージがあるからだ。

私はまじめ、地味、モダンじゃないってことなんだな、、、と苛つきと同時に落ち込んだのである。

他にも、若い天真爛漫な女子から、私の見た目は「よしこさんって名前のイメージがある」と笑いながら言われて、落ち込んだこともあるし、今の職場の同僚と、自分たちで商売をやるとしたら、という話をしている時、なぜか私は「経理やってね」と言われたり、、

経理の仕事は立派でよい仕事だと心から思うけれど、それをやっている人のイメージなんだと言われると、自分はやっぱり堅物でまじめなんだなと思ってしまう。

ほんとうにショックである。😪

自分のことを堅物でまじめそうで地味なイメージの何かに例えられるたびに、私はすごく気にしてしまい尾を引いてしまうから困ったものだ。

心は全然地味ではないし、反骨精神もあるし、ロックな所もあるし、耽美で退廃的なテイストを好んでいるはずなのに(そう自分では思い込んでいる)、なぜか他人からは真逆のイメージを抱かれ、古風でまじめな何かに例えられてしまう。

イヤである。ほんとうにイヤである。😑

そりゃあもちろん、平和に生きていくためにはまじめな方が無事に生きていけることは間違いない。

でもまじめと思われるイコール面白味がないと思われているみたいに感じてしまう。

私は面白い人間に憧れているから、そう言われると傷つくのである。🤕

だがしかし、そんなことを言いながらも、無意識レベルでは自分をあまり目立たなくしよう、少しダサ目にしておこう、まじめに生きよう、と思っているから、自分からそのように他人に見せている可能性もある。

心の奥底では、ロックっぽい格好やビジュアル系っぽい格好をして、周りの人に注目されたり、「どうしちゃったの?」と言われたりするのが、本当はイヤなのかもしれない。

じっさい過去に自分の髪色を、オレンジに近いすごく明るい茶色に染めたこともあるし、髪型もショートにしてたり、服もバンド系っぽい服を着ていた時期もあったのだが、そうすると逆に元ヤンみたく人に思われたりして、自分の心がざわついて落ち着かなくなってしまったことがあるからだ。

つまり憧れの自分像に近づけようとすると、派手になりすぎて、反対に居心地が悪くなってしまうのだ。

ほんとうに厄介な性格である。😓

ものごとは丁度いいようには中々ならないのだ。

だからもういい、諦める。

他人から烙印を押されるまじめで穏やかそうで地味めなイメージを、とりあえず甘んじて受け入れよう。

そのかわり行動面ではもっと自由に、前衛的に生きてみようと思う。

 

みゆさん (。-∀-)

 

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一度死んだつもりで生きていくこと (・ω・)

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こんにちは、みゆさんです (。・ω・。)

昨日は、なぜ毎日生きているのがつまらないのか?それは目的がないからだ、そして目的を探すには自分がほんとうは何が好きなのかをわかっていなければならない、と書きました。

しかし、それすらもわからない。もう何をするにも気力がない。体力不足と分かっていても、気持ちが落ち込みすぎていて、とても運動なんて出来ない。外を歩くことさえ出来ない、という人もかなりいるようである。

実際にガールズちゃんねるや2ちゃん(現:5ちゃん)などのネット掲示板には「生きるのが疲れた」「消えてしまいたい」「明日の朝どうか目が覚めませんように」「毎日ただ生きているだけ、もう死にたい」「自分なんて生きてたって仕方がない」などのコメントで溢れかえっており、そのテーマについてのスレッドがひじょうに多く立っている。

しかし、彼らの中で共通する気持ちは「でも自分で死ぬ勇気がない」ということである。

そりゃそうだろう。自分で死ぬなんて怖くってできるはずがない。

だって私たちは生物としては「死にたくない」わけだから。

生きたくなくたって生きなければならない、それが私たちである。

私たち人は睡眠と共に今日の自分が死に、次の朝に新しい自分として生まれ変わっていると言われている。

そんなことを言われても、昨日と同じ自分じゃないか!と思ってしまうのは、昨日の記憶が引き継がれているからだ。

私たちは自分の人生から逃げることは不可能である。

それならば、もう自分は一度完全に死んだと思って、自我も捨てて、淡々と死にながら生きる、または生きながら死んだように、人生を送ったらどうだろう?

肉体はまだ生きてしまっているが、精神、心はすでに死んでいる状態で、「自分」という概念を捨てて、ただ今この瞬間にやるべきことだけに集中して、命をまっとうするまで、それを継続する。

「自分」が持っていたこだわりとか、好き嫌いとか、理想とか、恥じていたこととか、それらはすべて葬り去り、一度死んだ「なんでもない存在」として生きていくといいだろう。

つまり「無」になるということだ。🙏

今している動きの1つ1つにただ意識を向ける。

歩くときも、右足を出して、左足を出して…と実況するように歩き、食器を洗う時も、スポンジに洗剤をつけて、蛇口のタップを上げて水を出し、スポンジを水で濡らし、泡を立て、片手でお皿を持ち、スポンジでまず内側を磨く…と実況するように作業をするなど、動きの一挙手一投足に集中して意識を向けるのだ。

余計なことは何も考えず、雑念を持たない。

「自分」という存在を忘れて「無」の存在として生きる。

そうすれば、他人からどう思われているかとか、恥ずかしいとか寂しいとか孤独だとか思う必要は一切なくなる。

死にながら生きているということは、もうそこには自我はないわけだから、自我があることで苦しんでいた自分から解放されるという点で、私たちは楽になり、真に自由になれるということだ。🍀

だからもう、生きてるけど死んでる、死んでるけど生きてる、というマインドで日々を生きればいいのである。

 

みゆさん (=゚ω゚)ノ

 

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なぜ毎日人生がつまらないと思うのか d( ̄  ̄)

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こんにちは、みゆさんです ( ̄∇ ̄)

毎日生きていてもなにも楽しくない。

人生がつまらない。😪

ネットの掲示板でもSNSでも、そのような呟きで溢れている。

反対に毎日楽しくて仕方がない、というような人もいるけれど、現代社会では少数派なのではないかと思う。

毎日がつまらないということは、目的がないということだ。

人は何かしらの目的がないと幸せに生きていくことができない。

たとえ衣食住に足りていて、経済的になに不自由ないとしても、自分なりのゴールというものがなければ、人生はつまらない。

じゃあそのゴールを、生きる目的を見つけるにはどうすればいいのか?

それは自分が心底好きなことを見つけるしかない。

そもそも人生がつまらないという人は、自分が本当は何を好きなのかが分かっていないことが多い。

テレビを見ることと、食べることにしか興味がない。

このような人は日本人には多いと思う。

好きなテレビ番組やドラマを観ることが至福の時間。

ご飯を毎食食べることが一番の楽しみ。

結構なことじゃないですか。😃

ただこれらの楽しみは、自分自身のための楽しみであり、他人が入っていない。

また受け身の楽しみ方である。

人間が自分のためだけに生きるという幸せには限界があり、自分から何かを創り出したり何かを発信したりせず、受け身だけの人生を送るだけでは幸福感は薄くなる。

自分が何をするのが好きなのかを、ちゃんと把握しているのはとてもいいことだけれど、そこに他人の幸せをくわえることで、人生は目的のあるものになる。

例えばテレビドラマを観ることが好きならば、その感想をブログに書いて、同じドラマ好きの人たちと楽しみを共有するするとか。

食べることが好きならば、その美味しい食べ物がどこで食べられるのかSNSを使って発信したり、オリジナルのレシピを公開してもいいだろう。

また自分が一体なにが好きなのか、まったくわからないという人は、まず毎日「今日うれしかったこと」を3つ書き出すことを習慣にしてみるといい。

そうすると、自分がどんなことに対して喜びを感じるのかの傾向がわかるようになり、そこに自分の生きる目的のヒントを見つけることができる。

またタレントでも俳優でもミュージシャンでも、職場の人でも近所の人でも2次元でもいいので、自分のアイドルを作るといいかもしれない。

好きなアイドルがいると、日常はとても楽しいものになる。

本当にガチな恋をしてしまうと苦しみも伴うから、そこまでにならないアイドルを作るのだ。

ただし1人のアイドルだけにどっぷりハマるのではなく、複数のお気に入りアイドルにハマることで、万が一その人に恋人が出来たり、結婚してしまったとしても、逃げ道ができるからである。

 またなにかペットを飼うことも、人生の目的を見つける1つの方法だ。

ペットを大切に飼ってあげること自体が毎日の目標になる。

しかし忙しすぎてペットを飼っても面倒がみられないとか、お金が掛かるからという理由で飼えない人は、近所の野良猫や地域猫やハトやカラスなどのお気に入りを探すといいだろう。

お気に入りの野良猫や地域猫を見つけては、後をついていくということを楽しみにしてもいいと思う。

とりあえず、もしあなたが毎日人生がつまらないと思うなら、自分が好きなことは何なのか、真っ新な子供のような気持ちに戻って、考えてみてほしい。

 

みゆさん _(:3」z)_

 

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五感のアンテナを張り巡らせて生活する (*☻-☻*)

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こんにちは、みゆさんです  ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

やる気を出すためには、まず体力をつける。そして体力をつけるためには、運動をする。つまりじっと動かないでいる時間をできるだけ無くす、という話を前々回にしました。

そして体を動かすことで、さまざまな良いアイデアが頭に浮かびやすくなる、ということでした。

それは、人間は体を動かしているときの方が、じっと動かないでいるより、五感が活性化するからだという。

五感とは視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚のことである。

私たちは外界からの情報を得るために、最も視覚をよく使う。

しかし視覚以外にも、他の感覚である聴覚、嗅覚、触覚、味覚も使ってさまざまな情報を得ているのだ。

ただじっと動かずに、視覚と聴覚だけに頼り情報を得ようとしても充分ではない。

私は散歩をするのが好きなのだが、散歩に出かけるたびに、何かしらの新しい発見がある。

そして散歩中に頭の中にふといいアイデアが浮かぶことが多い。

それは五感がフルに活動しているからである。

散歩の道中で風景が目に入り、それと同時に町のあらゆる音を耳にし、空気の温度を肌で感じ、風の匂いを感じ、あらゆる感覚器から情報を入手する。

それが脳細胞を発火させ、普段は思いつかないようなことが、ふと頭に浮かぶ。

そして色んなアイデアが生まれることで、自然と体がそれを実行する方向に向いていくのだ。

だからあまりじっとせずに、常に動いていた方がいいのだろう。

ブログを書いたりするときなど、ほんとうは軽く踊るような、リズムに乗るような感じで書くと、いいアイデアが出てくることが多いと、勝間和代さんが言っていた。

五感は私たちの体と外界とを結ぶアンテナのようなものであり、それらを常に張り巡らせて生活することで、第6感とも言われる直感も冴えてくるという。

すべての瞬間を五感すべてで同時に感じることは確かにむずかしい。

しかしその訓練をすることは「いま、ここ」に集中することであり、マインドフルネスをしていることにもなるから、自己実現にも役に立つ。

だから五感のアンテナを常に張り巡らせて、今日の風景の中で変化しているところはどこかないか、研ぎ澄ませておくといいだろう。

 

みゆさん ( ̄▽ ̄)

 

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