みゆねこのブログ

すべての生きにくい人に寄り添うブログ

慢性的にある疎外感。。。 ’( ☻ ω ☻ )

f:id:miyunekoclub:20190508104807j:plain

こんばんは、みゆさんです(´つω・`)

あなたには、慢性的な疎外感があるでしょうか?

どんなに周りの人と表面上うまくやっていても、心の片隅でなんとなく自分は異質であり、アウトサイダーであり、常に漠然とした孤立感が拭えないという状態である。

周りの人がみんな自分よりもまともな人間でリア充であり、自分などの非リアの変人は入っていけないと思うこともある。

職場でも、スタッフの人がリア充的な盛り上がりをしていても、その輪の中に入れるとは思わないし、むしろ入りたくないと思ってしまい、自分はスマホのネットの中に逃げ込む。

自分なんてのけ者だ、場の空気に合わない、だったら逸脱者らしく自分の殻に閉じこもっていよう。。。

そんな負の考えが頭をよぎることがある。

心が元気で体調もいいときは、あまりこのような気分にはならないのだが、自律神経のバランスを崩して疲れているときなどは、なにかあるとすぐに神経がピリピリし出して、心がザワザワし出して、孤立感を抱きやすくなる。

この慢性的に抱いている疎外感の発作が起こるか起こらないかは、その日の体調や精神状態だけではなく、そこが「自分の居場所」か否かであると思う。

自分の居場所とは、自分が自由に思いや考えや感情を表現できる場であり、それをその場の他人と共有し、意見の交換のできる場所のことである。

そのような場では「心理的安全」が必ず確保されるから、慢性的な言いようのない疎外感みたいな感情はわき上がりにくい。

しかし自分の居場所ではない場では、その場に入り込めない、ノリについていけない、話が理解できない、共有できない、というマイナスの感情がわき上がりやすく、劣等感やコンプレックスを刺激するから孤立感を深めてしまう。それは「心理的安全」が脅かされる場なのである。

では、「自分は世間のはみだし者だ、どこにも属さない」という疎外感を解消するにはどうすればいいのだろうか?

それは自分が主導で発信して自分から地道にコミュニティーを作り上げていくしかないのかもしれない。

家族や学生時代からの友人というのは、自分から作り上げたというよりも、必然的に環境に与えられたものと解釈していいような気がする。

自ら能動的に自分の好きなことや興味のあることに忠実に生きることで、ネットワークを広げていくことが大切なのだと思う。

疎外感を感じるということは、まだまだ他人や環境に依存してしまっている自分がいるのだろう。

真の意味で自立していれば他人など関係ないのだから。

 

みゆさん(。◕ ∀ ◕。)

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 Amazon.co.jpアソシエイト

じつはこれも自傷行為の一種( ・⊝・∞)

f:id:miyunekoclub:20190507113057j:plain

こんばんは、みゆさんです(`・⊝・´)

私はツイッターをやっているのだが、たまに「死にたい気分になってリスカ」したみたいなつぶやきがタイムラインに上がってくる。

ツイッターのいいところは、メンヘラ民が安心して「リスカ」したとツラさを吐露し、自分の弱さを隠さなくても、自分の居場所にできるところだ。

リスカ」とは「リストカット(wrist cut)」であり、手首自傷症候群と呼ばれる心の病である。

その名のとおり自傷行為であり、手首や腕などをカミソリで傷つけることで、不安定な精神状態を一時的に緊張から解放する手段である。

心理臨床の教科書にこんな風に記載があった:

自傷行為は「心理的苦痛を軽減するために意図的に行われる姿勢の低い身体損傷」と定義し、その行為は社会的に任用されていないものを指すとされている。”

特に前述したリストカットアームカットのように手首や腕をカミソリで切り刻む自傷行為をする人は多く、特に10代~20代までの若者が多いようだ。

”彼らは自己愛が傷ついたときにこの行為をするといい、自傷はこの傷つきを癒す無意識的な試みであると考えられる。”

”見捨てられ、抑うつの感情の高ぶりによる緊張を、一挙にかき消す精神安定作用を持っている。”

”しかし行為の後には、無力感・罪悪感・自己嫌悪をともなうがゆえに精神安定作用が意識されないこともあり、相手の注意を引き、相手を支配しようとするコミュニケーションとしての意義があるからするという見方もある。”

一般的に最もよく知られている自傷行為は手首や腕のカミソリにより切り刻みであるが、これだけではなく他にも、自傷行為と見なされる行為があるという。

髪の毛やまつ毛や眉毛を抜く、爪を噛む、皮膚のかさぶたを剥がす、などの行為や、自分の頭を打ちつける、自分自身を殴る、首をつる、過量服薬、薬物乱用、などもあるという。

そういえば、私自身は、今はやらないが、長い間ずっと爪を噛むことがクセで、今思えば不安を解消するための手段だったとも考えられる。

また小学校5,6年生の情緒不安定で、私のことをいじめていた意地悪なメンヘラ女子は、授業中にいつも自分の睫毛を抜いていたのを覚えている。

また職場でも精神不安定な女性スタッフは、髪の毛を抜いたり、頭皮のかさぶたを乾ききる前にむしり取り、次のかさぶたが出来たらまた剥がすという行為を繰り返している。

電車の中ですごい女の人を見たことがある。

私の真向かいの座席に座っていた、サングラスをかけた赤い髪の年の頃は20代中半くらいのオシャレな感じのギャルっぽい女性は、タンクトップを着ており両腕が出ていたのだが、身につけていたストールの隙間から右腕に、おびただしい数のリストカット跡が肩から手首までにかけて刻まれていた。

また今の職場でも、お客様の女性で年の頃は30代後半くらいで、服装もチェックのシャツにジーンズのラフな感じで、普通のお子さんがいそうな主婦っぽい、穏やかな雰囲気の女性だったのだが、七分袖から出ていた腕には無数のリストカット跡が刻まれていた。

一見いかにもイケていてリア充そうで何の問題もなさそうな人だったり、平和で穏やかな家庭を築いていそうなお母さんみたいな人だったりしても、心には闇を抱えており、寂しさや無力感を抱えながら生きている人もいるんだと思った。

 幸い、自分の場合は爪を噛む程度で済んでいたけれど、このように自傷行為に走ってしまう人に対して、弱い人間だとか、自制心がない人間だとかのレッテルの貼ってしまうのはおかしいと思う。

幼少期の育った環境などで、そうしなければ生きられなかったのだ。

むしろ自傷行為によって血が出るのを見たり、身体的な痛みや苦しさを感じたりすることで、自分が生きているという実感を得ているのである。

もちろんこういった行為はやらないに超したことはない。ただ周りの人間はその人に対して一定の理解を示すことも大切だと思う。

 

みゆさんo(・ω・。)

 

セルフ・コンパッション―あるがままの自分を受け入れる

セルフ・コンパッション―あるがままの自分を受け入れる

 

 Amazon.co.jpアソシエイト

 

 

正直に生きる、ウソがつけない人o(・x・)/

f:id:miyunekoclub:20190506192549j:image

こんばんは、みゆさんですd( ̄  ̄)

さてあなたは正直者でしょうか?

私自身は結構な正直もので、自分に対してもウソをつけないし、他人に対してもウソをつくのが苦手なタイプである。

10代の頃は特にこの傾向が強かったので、学校のクラスの友人関係ではよくツライ思いをしていたものだ。

また言ってはいけないことを言って、子供時代にはよく自分の親に叱られていたものだ。

正直さによって、若いときに様々なトラブルや苦労を経験した私は、大人になった今どうなのかというと「それほど変わってない」というのが現状である。

よく言えば誠実、悪く言えば融通がきかない、不器用な人間ということである。

接客業をして、物やサービスを売らなければならないとき、セールストークでウソをつくことは不可欠であるが、私の場合、いくら会社に言えと言われても、お客さんにウソの情報はなるべく伝えないようにしているし、言わざるを得ないときでも、曖昧にモゴモゴと小さめの声でサラッと言って、一応言ったという程でいる。

また明らかに私の勤めている店舗のおかしな点についてお客様に指摘されたときも、自分は否定をせずに、「なんででしょうね〜」と曖昧な返事をして、半笑いでその場をしのぐ。😅

私は逆に不思議に思う。❓

世の中にはなぜあんなに息を吸って吐くようにスラスラとウソをつける人がいるのかと。

心の中に引っかかりがあれば、あんな風にスムーズにペラペラと言葉が出てこないと思う。

しかしきっとウソは習慣化するものなんじゃないかとも思う。

本心が"黒だ"と言っているのに、"白だ"と言わなければならないときは顔が引きつるし、舌がもつれる。

キライなものや人を目の前にして、まるで好きなように振る舞うなんて芸当はとても出来ない。

なるべくならウソをつかずに済むように生きていきたいものだ。

ただし時と場合によっては「ホワイトライ」善意から来る思いやりのあるウソは仕方がないかなとも思う。

それ以外なら、ほんとうにセールストークでもウソの情報を流すのはイヤである。

フェイクニュースみたいな人を惑わすようなネットの情報を流す人はきっと、ウソをつくことでSNSでいいねやリツイートを沢山もらえることに味をしめて中毒化してしまった結果なのだろう。😓

人はある程度不器用でも、正直な方が後々自分の心を傷つけなくていい。

ウソをつき続けることは確実に心を蝕んでゆくのである。😱

 

みゆさん(`_´)ゞ

 

概念で決めつけられない、「個の自分」という存在感( ✌︎'ω')✌︎

 f:id:miyunekoclub:20190505215903j:plain

こんにちは、みゆさんです(〃ω〃)

私たちは、ある特定の一括りの概念で他人を見るし、反対にそう見られてしまう。

子供、女子高生、お爺さん、お婆さんなどは、そのような概念で一括りにされてしまいがちだ。

お子さん連れの女性に対しては、私たちは「お母さん」と見るし、男性だったら「お父さん」だし、夫婦でいたら「奥さん」と「旦那さん」だし。

しかし、これらのどこにもあてはまらない、どこにも属さない人もいて、そのような人は「〜の妻」とか「〜のお母さん」ではなく、個人の「〇〇花子」でしかない。

芸能人は特に個の存在が大きく、例えば芦田愛菜ちゃんとか鈴木福くんなんかは、今は大きくなってしまったが、子役のときは「子供」ではなく、昔から個人の「芦田愛菜ちゃん」「鈴木福くん」という概念であったと思う。

例えば女優の吉永小百合さんや亡くなられた樹木希林さんなどは、おばあちゃんではなく、概念は「吉永小百合」「樹木希林」であると思う。

私が尊敬してやまない美輪明宏さんなんて、もう「美輪さん」でしかなく、おばさんでもおじさんでもないし、男とか女の概念がない。

YOSHIKIさんだって同じで、年齢的にはおじさんなのに、おじさんではなく、お父さんでもなく、男でもなく、「YOSHIKI」なのである。

どこの概念のグループにも属さない人間は、ぼっちでありさみしい人間、と思う人もいるかもしれない。

しかし、それでもどこにも括られない個人の存在には憧れがある。

個人にこだわるのは抽象度の低い考えなのだと思う。

でもやっぱりいいなと思うから、究極的には目指していきたいと思う。

 

みゆさん(*゚∀゚*)

 

 

妄想・空想をより所に生きる(`・∀・´)

f:id:miyunekoclub:20190504192238j:image

こんばんは、みゆさんです( ̄∀ ̄)

私たちはみな現実社会、つまり物理的世界で、毎日疲れながら生きている。

物理的世界だけではない、現代ではネット上の情報社会でも世知辛い世間が広がっており、とても心が休まるところがない。

しかしもし逃げ場があるとするならば、それはあなたの頭の中の想像、妄想の世界である。

想像の世界はじつに自由であり平和である。

想像の世界では、あなたは何にだってなれる。

ミュージシャンやアイドルにもなれるし、社長にもなれるし、王や大統領にもなれるし、人間意外の妖精や動物やキャラクターやスーパーヒーローにもなれる。

お金持ちにもなれるし、世界中のどこでも、宇宙にも深海にも行けるし、漫画やアニメの世界に住むことだってできる。🍄

完全に自分で自由自在に操れる世界なのだ。

そして、この空想の世界をリアルに臨場感を上げて体験できるのならば、物理的世界よりも、こちらの空想世界が自分にとっての現実になることもある。

人によって、物理的世界が現実なのか、ネットの情報的世界が現実なのか、頭の中の空想の世界が現実なのか、どの世界が自分にとって現実なのががちがうのだ。

それが現代社会なのだと思う。

仮想現実というバーチャルな世界はこれからどんどんリアルになってきて、技術革新がもっと進めば、物理的世界と比べてもなんら遜色のないもうひとつの現実世界になるのは確実だろうと思う。

人間が幸せにストレス少なく生きるには、じつは人格を分散させながら生きた方がいいという。 

これは解離性人格障害に見られるような、多重人格とはまたちがう。

自分の意思で物理的世界、ネットの世界、想像の世界とで、それぞれちがった自分として生きるのである。😐

特に物理的世界で生きることがとてもツラくてしんどかった場合、空想の世界に逃げ込んで「現実逃避」することは決して悪くないどころか、むしろ最悪な心理状態から自分を救ってくれる得策なのである。

現実に、私の職場の若手の社員の女の子は、乙女ゲームにはまりきっており、そちらのゲームの世界の方が彼女にとって現実なのだという。

その世界の楽しみがあるからこそ、ツライ仕事も乗り越えて毎日やっていけてるのだ。

ちなみに彼女がハマっているゲームはあの大人気の「刀剣乱舞」である。♥️🗡

このゲームをオンにすれば、いつでも恋するイケメンに会うことができるのだから、楽しいのはあたりまえである。🌷✨

想像の中なら誰と付き合ったって自由である。

アイドルだって、ビジュアル系アーティストだって、アニメの主人公だって、俳優だって、誰とでも恋ができる。

想像は素晴らしい、妄想は人生のスパイス、バーチャルな世界は最後に行き着くパラダイスだ。🌴

こんな世知辛い、救いようのない現実世界は、まともにどっぷりつかるとみんな病む。

物理的世界には、片足を突っ込むくらいでいいんじゃないかと、最近思い始めた。

みんな、是非空想して、妄想して、色んな自分の人生を生きてみようじゃないか。

 

みゆさんo(`ω´ )o

 

圧倒的な価値を創る技術[ゲシュタルトメーカー]

圧倒的な価値を創る技術[ゲシュタルトメーカー]

 

 Amazon.co.jpアソシエイト

スラック〈余裕〉を持ち、人にも親切にする∩(´∀`)∩

f:id:miyunekoclub:20190503165741j:image

こんばんは、みゆさんです’( ☻ ω ☻ )。・

さて、私たち日本の社会人の多くはスラック<余裕>がいろんな意味で足りていない人が多いんじゃないかと思う。

特に正社員でフルタイムで働いている人たちは、朝から晩まで、月曜~金曜までぎっしり働いていると思うし、サービス業の営業職の人たちなんかは、ひどい時は月に数日しか休みがないときだってあるようだ。

それでも、充分高い給与を得ている人ならば、まだ余裕があるというものだが、フルに休みも少なく働いているのに収入も不十分だという人は、まさにスラックがほとんどないといっていいだろう。

人は時間でもお金でも自分に余裕がないときは、他人に親切にできない。

ギバー、テイカー、マッチャー、という3種類の人間のタイプを知っているだろうか?

ギバーとはgiverであり、与える人。

イカーとはtakerであり、奪う人。

マッチャーとはmatcherであり、時と場合よってどちらにもなる人、常にギブアンドテイクの考え方の人だ。

人はみんなギバーである方が幸せなものである。

実際に世の中の成功者で色んなことに満たされている幸福な人々は、皆ギバーなのだそうだ。

そしてギバーは他人を分け隔てなく、見返りなしに誰にでも親切にできる。

それは彼らにスラックがあるからである。

人はスラックが少なければ少ないほどテイカーになりやすく、たとえ人に親切にしたとしても、必ず何かしらの見返りを期待してのことである。

人に親切にすればするほど、自分も人から親切にされたり助けられる可能性が高くなるから、本当はみんな人に親切にできた方が自分も周りの人も幸せなのである。

親切にするときは、自分の家族や友人などの身近な人だけではなく、友人の友人とか知り合いの知り合いとか、すごく薄い関係の人たちに対してもそうするべきである。

エレベーターのボタンを押してあげる。ドアを開けてあげる。道がわからなさそうな人にこちらから声をかえて道を教えてあげる。など全く初めて出会った見ず知らずの人に対しても親切心は発揮してもいいだろう。

この行為は、世界全体が平和になる、ほんの小さな1つのステップだと思う。

人は自分が親切にされると、自分もその人や他の誰かにも親切にしたくなるものだ。

逆にみんながギスギスイライラして、いつも人から奪ってやろうと考えていると、途端に世界は暴動や戦争やテロばかりの世の中になるだろう。

今の日本社会は残念ながら、多くの人が労働の奴隷みたくなってしまっており、時間にもお金にも余裕があるという人がとても少ない。

だから通勤電車のサラリーマンの人も、我先にと人を押しのけてでも座席に座ろうとする人たちもよく見かける。

日本人はよく他人に冷たいとか人権意識が低いなどと、外国からは言われている。

それはきっとあらゆることに対するスラックのなさから来ているんじゃないかと思う。

私たちみんなが他の人々に親切にできるということは、みんなを幸せにできることであり、世界に幸せをもたらす理想的なことだと思う。

だからもっとスラックのある人生が送れるようにしようと思う。

 

みゆさんヾ(❀╹◡╹)ノ゙

 

 Amazon.co.jpアソシエイト

漫画がきっかけで、なにかに憧れる(*⁰▿⁰*)

f:id:miyunekoclub:20190502223258j:plain

こんばんは、みゆさんです(^ω^)

有名なサッカー選手とか、野球選手とか、バスケットボールの選手などのスポーツ選手のなかには、漫画やアニメの作品に影響を受けて、その道に進んだという人が結構いるようだ。

スポーツだけではない。たとえば「ガラスの仮面」を読んで女優を目指したという人もいるだろう。

漫画とはリアルに人の人生に影響を与えることがある。

私自身の場合は、中学生のときに月刊の少女マンガ雑誌に連載されていた「Cypher」という漫画に影響されて、大人になってから海外に住んだ。

この漫画は80年代のニューヨークが舞台の、双子の白人男子と女の子1人のティーン向けのラブコメディだったのだが、作者自身がニューヨーク暮らしの経験があったようで、ニューヨークの様子とか文化、慣習とか、割とリアルに描かれており、同時に80年代のアメリカで流行った音楽のこともさりげなく作品の中で紹介していたりと、その漫画のストーリーそのものもさることながら、同時に漫画の中でニューヨークの雰囲気も体験できるのが楽しく、当時多感で影響を受けやすかった中二病全開の私は、その漫画を読んで、ニューヨークに憧れを抱いていた。

そのあと成人して、留学で住んでいたのは、じつはカナダであり、ニューヨークではなかったのだが、漫画によりニューヨークという外国に憧れを抱いたことが、後に同じアメリカのサンフランシスコやラスベガスへ旅行に行くきっかけになったり、シアトルに留学している友人を1人で訪ねたり、それがきっかけで自分自身も外国に留学する方向に人生が動いた。

漫画はたかがマンガで単なる娯楽なのではなく、時には人の生活にもリアルに入り込んでくる非常に影響の大きいものである。

ぜひ漫画の中から何か新しい生きがいを見つけてみるのもいいと思う。

 

みゆさん(*≧∀≦*)