みゆねこのブログ

すべての生きにくい人に寄り添うブログ

自分の評価は自分でする。他人ではない。(。-ω-)ノ

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こんにちは、みゆさんです٩(๑´0`๑)۶

人はどうしても自分自身に対する評価を自分ですることに自身が持てない。

確かにそうだと思う。🌸

自分でいくら「私は頭がいい」「私はかっこいい」「私は可愛い」「私は性格がいい」と思ってみても、それらにおいてもっと優れた他人を見た時には自分が劣っていると悟り愕然としてしまう。自分は自惚れていたのだと恥ずかしく思い自己卑下してしまう。

反対に自分よりもある分野において劣った他人を見た時には、優越感に浸り再び自分への評価を高めるようになる。

このように人はいつも他人と自分を比べることにより自己評価をする傾向があって、他人というモノサシで比べては、その都度心が優越感と劣等感の間を行ったり来たりして安定感がない。📏

他人というモノサシというのは人によって変わるし、環境や状況によっても変わるものだから、あくまでも相対的なものであって、とても不安定で絶対的なものではない。それなのに人はどうしてもそれがなければ自分というものを評価することが出来ないのである。📐

OOさんは出来るのに私は出来ないからダメなんだ、、、と劣等感を持ち自分を卑下したり、OOさんよりも私の方がこれを良く出来る、、と逆に優越感を持って自惚れたりと、他人のモノサシに従ってばかりで自己評価をしていると、それに振り回されて生きていることになり、とても不自由であるし、自分の中に本当の自信は育たない。

また他人と自分を比べる以外にも、人は他人に称賛されるか否かで自己評価を決める傾向もある。人から承認を得るということである。

他人から「すごいね」「可愛いね」「かっこいいね」など褒めてもらうことで、初めて自分を評価することが出来るような、人からの承認に依存しているタイプの人も多い。

そして他人から何の反応もなかったり、褒めてもらえなかった時は自分はダメであると自分の評価を下げることになるのだ。

他人からの評価、称賛、承認に振り回されているうちに、他人の期待に振り回されるようになり、終いには本当の自分から遠ざかって行き自由がなくなってしまう。

他人のモノサシ、他人の承認、他人の称賛は絶対的なものではなく、あてになるものではない。

自分の評価は自分でする自分がいいと思えばそれでいいのである。🌟

例えば、頭が良い、美しい、能力がある、性格がいい、などの正しい定義はなんなのか?

それは自分が「私は頭が良い」と思えばその人は頭が良いし、「私は美しい」と思えばその人は美しいし、「私には能力がある」と思えばその人には能力がある、「私は性格がいい」と思えばその人は性格がいいということになる。

”自信”という言葉は自分を信じると書くくらいで、自分が自分を信じる、自分が自分をこうだと信じることで、現実が作られるのだと思う。😃

自分が「私は賢い」と思って生きれば、例え他人がそう思わなくたって、自分は賢いのだという思いで生きるのだから、自分の振るまいも言動もそのような自分に相応しいように変化してゆく思うし、現実もそうなってゆく。

自分が「私は美しい」と思えば、例え周りの人間にそう思われないとしても、自分の中では自分は美しいのだから、自然とそのような自分になるように行動するようになるし、生活習慣も変わるだろうし、本当に自分が美しいという現実になってゆくのだと思う。

他人の評価や他人のレベルに振り回されず、自分の評価は自分で下すことはとても自由なことであるし、優れた自己暗示でもある。

他人と自分を比べない。他人の承認に頼らない。自分の評価は自分で決める。

そう生きれたらとても幸せであると思う。😛

 

 みゆさん٩(๑´0`๑)۶

  

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