みゆねこのブログ

すべての生きにくい人に寄り添うブログ

やめるべきなのに、やめられない理由(*´・∀・)

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こんにちは、みゆさんです ╭(๑•̀ㅂ•́)و

人は自分の習慣を本当は心の奥底ではやめた方がいいと思っていても、どうしてもやめられないことがある。

喫煙などはとても良い例かもしれない。🚭

どれだけ一般的に健康に害であると認識され、禁煙する人が増えて行き、法律で禁止する州や市が出てきているような世の中であっても、やはり頑なに喫煙をし続けている人がいる。

その人たちは、タバコが有害でガンのリスクが高くなることも知っているし、自分たちだってガンになりたくないし、喫煙をやめればそれらのリスクを減らせるということも知っている。

それなのに喫煙し続けるというのは、彼らが長年ヘビースモーカーであった場合、今まで相当な本数のタバコを吸ってきたわけで、今更やめても。。という気持ちになりやすいからである。💭

禁煙は自分の長年とってきた行動や経験を否定することになり、心に矛盾が生じる。

「認知的不協和理論」という言葉をご存じだろうか?

これはアメリカの心理学者のフェスティンガーが提唱した理論で、”人が自分が持つ知識や経験と矛盾するような事実を見たり、そういった経験をしてしまうと、その人の心の中に解消しがたい不快感が発生する”、というのを、彼は不協和と呼び、人はその不協和を解消するために、事実を変えることが出来ないから、事実に対する「解釈」を動かそうとする、というのである。

そうなると前記の喫煙者は、彼の認知的不協和を解消するために、「喫煙者でもガンにならない人は大勢いる」「タバコはストレス解消の助けになるから、かえってガンを抑制する方に働く」などの、喫煙をやめなくても済むための理由付けになる情報を集めて、禁煙をせず不協和を解消しようとするのである。😨

つまり解釈を施すことによって、自分の行動を合理化するということである。

他にも有名な例として、カルト宗教集団の信者の話がある。

カルト宗教などにはまった人が、その宗教集団がインチキだと判明したとしても、変わらず熱心な信者で居続けることがある。

そのような信者たちは、その団体に入会する際に、家族や友人を捨てることや、所有する全財産を捨てる、などの厳しい条件を受け入れていることが多く、身も心もすべて教団に捧げてきている。🙏📿⛪

そこまで犠牲を払ってきたのに、その宗教がインチキだったと言われても、心に矛盾が生じるから到底受け入れることなんて出来ない。だから認知的不協和が生じ、それを解消するための動きを始める。

それはさらに今まで以上に熱心な布教活動に専念し続けるということである。‼

世間にその教団がインチキだとバレているのに、苦しい言い訳をし始める。

「預言は外れたのではなく、また新しい預言が出現したのだ」

などのように、自分に解釈を施して、今までの自分の行動を合理化する。💦

そしてそのような教団は、今までの閉鎖的で謎めいた印象から、ガラッとイメージチェンジし、開放的で一般的に受け入れやすいような印象づけを始めると言う。

これって、いまいるブラック企業の会社を辞められないとか、身体的もしくは心理的虐待をする配偶者などと離婚出来ない、などの状態の人にも当てはまる理論なのではないだろうか?

実際にある社会心理学の実験でも、労働量の対価に見合うかそれ以上の時給のアルバイトをした人よりも、労働量の対価として見合わない低賃金のアルバイトをした人の方が、仕事にやりがいを見いだしたり、楽しんだりする傾向がある、という結果が出ている。

これは完全に認知的不協和を解消する心理が現れたものだと思う。😲

どう考えても割に合わない、どう考えても搾取されているとわかっていても、そうとは認めたくない、犠牲になっている自分を受け入れられない、という人がこのような状態になりやすい。

そのため世の中には、いつまでもやめるべきことをやめられなかったり、辛くても苦しくてもそこから逃れられない人が大勢いいるということである。

この理論が究極に悪い方向に働くと、自己の置かれている環境によっては、解釈を施し合理化して、人を殺すことだってあり得るという。😱

だからこの認知的不協和理論とはとても怖い。🙀

もし解決する手立てがあるとすれば、「人間にはこのような心理的状態になる可能性がいつでもある」、ということを知っておくことくらいだろうか。。。

 

 みゆさん (*´∀`*)

 

 

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