みゆねこのブログ

すべての生きにくい人に寄り添うブログ

起こったことが良いことなのか悪いことなのかはわからない( ´・ω・`)

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こんにちは、みゆさんです ( ´・ω・`)

何か出来事が起こって、それが良いことだとしたら、多くの人間はとても嬉しいと思い、その出来事が自分にとって幸運なことだと思い込む。

反対に何か良くないことが起こり、多くの人間はそれを悲しく苦しく思い、その出来事が自分にとって不幸なことだと思い込む。

しかし起こった物事が、その時点では本当に自分にとって幸運なことなのか、不運なことなのかは後になってみなければ分らない。👆🏾👆🏻👆

だから良いことでも悪いことでも、起こったその出来事に対する素直な感情は持っても構わないと思うけれど、それが幸か不幸なのかを決めてしまうのは早すぎるというわけだ。

どんな物事でも今後どのように展開してゆくかは誰もわからない。

昔の中国の故事成語に「人間万事塞翁が馬」というお話がある。🐎

”ある砦(塞)に近いところにおじいさんとその息子が住んでいました。ある日おじいさんの馬が遊牧民族の地へ逃げていってしまいました。

周囲の人は、おじいさんはさぞ悲しんでいるだろうと思いました。

しかしおじいさんは「これは幸福になるかも知れない」と言いました。

するとその馬が余所の地から、別の複数の馬を連れて戻ってきました。🐴

人々はそれを祝いましたが、今度はおじいさんが「これは不幸の元になるだろう」と言いました。

すると後に、連れてきた馬に乗った息子が落馬して足の骨を折ってしまいました。

人々がそれを見舞うと、おじいさんは「これが幸福の元になるだろう」と言いました。

1年後隣国の軍が攻め込んできて戦争となり、若者の多くは戦死してしまいましたが、落馬して足を折った息子は兵役を逃れたので、戦死せずに済みました。”

つまり今1つ起こったことが、未来にどのようなことを引き起こしてゆくかはわからないから、1つ何か起きるたびに一喜一憂しすぎない方がいいよ、ということだ。

また心理学の巨人ユングも似たようなことを言っていた:

”例えばお金が足下に落ちていたとする。ラッキーだなと思って拾おうとしたら、そばにあったテーブルの淵に頭をぶつけて、脳震盪を起こして入院した。ついてないなと思っていたら、入院先の看護婦さんがキレイで、その人と結婚した。しかし結婚したら彼女に尻に敷かれっぱなしで、こんなはずじゃなかったと。。。。”

これは1つの出来事がその先にラッキー、アンラッキーな出来事へと二転三転してゆくという例えである。🙂

だからお金が足下に落ちていた時点では、それが良いことか悪いことかなんてわからないのである。

そんな時ユングが言っているのは、「希望を持ったまま判断を保留しなさい」ということだ。

何か起こったときに、良い方向に考えすぎず、悪い方向にも考えすぎず、この先何が起こるかわからないと、常に平常心を保ち、希望を持ちつつも先行きを見守るのである。

人は舞い上がりすぎると、必ず足下を救われる。😔

自分が希望していた学校や会社に入れなかった、自分が恋人同士になりたいと思っている人と付き合えなかった、結婚したいと思っていた人と結婚出来なかった。。。

そんな時はとても落ち込むし、悲しいし、残念だと思うけれど、その状況が人生を好転させることだってあるのだ。🌷

大切なことは、心の中で「こうなったらいいなあ」という理想のイメージを描きながらも、今この瞬間を大事にしながら生きることなんだと思う。

だから先行きのことを期待しすぎたり、心配しすぎたりするということは、不必要な労力であるということだ。

「いま、ここ」に集中して生きることが平穏に上手に生きてゆくコツなのかもしれない。

 

みゆさん ( ´・ω・`)

 

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