みゆねこのブログ

すべての生きにくい人に寄り添うブログ

あなたは世界の中心ではない o(・ω・。)

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こんにちは、みゆさんです (。-ω-)ノ

みなさんは自分のことを「自己中心的」だと思うだろうか?

「自己中心的」とは自己への執着という意味だそうだが、じゃあ自己中心的な人といったら、どんな人を思い浮かべるだろうか?

まず思い浮かぶのが、暴君と呼ばれる横暴で他人に迷惑をかけても平気でいる、自分の都合のことしか考えない、世界は自分を中心に回っているのだと考えるような、周りからみれば非常にハタ迷惑な人ではないだろうか。😩

また集団の和を乱し、協調性のない、遅刻をしても約束を破っても謝りもしないような自分勝手な人を思い出すかも知れない。

しかし、このような人たちに加え、承認欲求が強く、常に他人のことを気にしすぎている人ような人たちも「自己中心的」であるという。

なぜなら承認欲求の強い人は、他者がどれだけ自分に注目し、自分のことをどう評価しているか、つまりどれだけ自分の欲求を満たしてくれるのか、そんなことばかり考えているからだ。😑

このような人たちは、他者を見ているようでいて、実際には自分のことしか見ていない。

他者への関心がなく、自分にしか関心がない。それが自己中心的だということである。

どれほど他者に気を遣い、他者に合せようとしている人であっても、それは他者からの批判に怯えているからであり、他者の自分に対する視線を気にしているだけなのだから、それは自己への執着としか呼べない。

 どうして私たちはこのように自己中心的になってしまうのだろうか?

それは私たち1人1人がそれぞれ自分の現実世界を持っており、その自己の世界の主人公であると認識しているからだ。🌍

その認識自体は間違っていないだろう。自分が主観的に捉えられる世界しか現実として認識出来ない。自己の心象風景が世界そのものなのだから。

ただこれは、私たちのそれぞれが世界の中心に君臨しているのではないということだ。

1人1人の「わたし」はそれぞれの人生の主人公ではあるが、あくまでも常に他者との関わりを持つ共同体の一員であり、全体の一部なのである。

自分が世界の中心なのではない。他者とは「わたしのために何かをしてくれる人」ではない。👎

それなのに自己中心性の強い人、自己愛の強すぎる人は、みんなは「わたし」のために動く存在であり、わたしの気持ちを最優先に考えるべきだ、と本気で思っているのである。

彼らは「人生の主人公」のみならず、「世界の主人公」であると信じているのだから、他者と接するときにも「この人はわたしになにを与えてくれるのか?」ということばかり考えるのである。

しかし現実はどうだろうか? もちろん他者は彼らの期待を満たすために生きているのではない。

そうなると、彼らは大きく失望し、ひどい侮辱を受けたと感じ、ひどく憤慨する。

そして他者は自分の期待に応えてくれなかった、裏切られたと感じ、敵だと見なし、仲間を次々と失っていくことになる。😪

他者との良好な対人関係を築けない人には、このような傾向があると言っていいだろう。

私たちはそれぞれの人生の主人公であっても、世界の主人公であるわけではない。

世界の中心にいるわけではなく、人々のあつまる共同体の一部である。

だから自分から世界に積極的にコミットする、つまり関わりを持っていこうとするのである。

自分は何もしなくても、他者や環境が自然に自分のために働きかけてなにかをしてくれるのがこの世界ではない。

自ら足を踏み出し、自分から動き、「この人はわたしになにを与えてくれるだろうか?」ではなく、「わたしはこの人になにを与えられるだろうか?」という発想で生きていくべきなのである。🤚

対人関係に自ずからコミットし、自分でこの世界の居場所を獲得していくということなのだ。

 

みゆさん σ(´Д`●)

 

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