みゆねこのブログ

すべての生きにくい人に寄り添うブログ

潜在的な差別とは o(・ω・。)

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こんにちは、みゆさんです (。-ω-)ノ

なんか、武道館が改修に入るからと、今年の24時間テレビはどうなるのかと、ネットの記事に上がっていたけれど、会場がないんだったら別にやらなくてもいいんじゃない?と思ってしまう。💨

子供の頃はなんの違和感もなく、あの24時間テレビの名物である、障がい者の人が何かに挑戦して成功させて、感動をみんなで共有する、という企画を観ていたけれど、近年はなんだか少しおかしいなあと思うようになった。

別に障がい者の人が、普段やるのがむずかしいことに敢えてチャレンジして、それを成し遂げて、自己実現につながったり、自信になって、喜んだりハッピーになったりするのはすばらしいと思う。そしてそれを見ている人が、彼らの頑張りによって元気づけられたり、励まされたりして、自分を刺激を受けるということはとてもいいと思う。

しかし、24時間テレビの違和感というのは、まるで「障がい者の人たちはみんな善良で頑張り屋で天使である」「障がい者の行動は感動をあたえなければならない」というイメージを持たせるような過剰な演出をしているところにある。😔

どうも障がい者の人たちが見世物にされているような印象さえある。

そのような点が、あの番組を「差別的」だと思わせる。

あまり言いたくない言葉だが、「障がい者」の人に対して、身体的にとりあえず何の問題もなく健康な人のことを「健常者」と呼ぶが、同じ人間である以上、両者とも同じくらいの割合で、「頑張り屋さん」の人もいれば、「頑張るのがキライな人」もいるし、「いい人」もいれば、「悪い人」が存在する。

それなのに、あの番組ではまるで、障がい者の人は全員例外なく天使のように純粋で直向きで、人に感動と幸せを与える、悪人なんているはずがない、というような間違ったイメージを描いて、電波に乗せて発信し、一般の人から多額の募金を得て儲けている。

これは明らかに差別なのに、厄介なのが多くの人がこの「潜在的な差別」に気がついていない。

少し前の話になるけれど、あのベストセラー「五体不満足」の著者で有名人の乙武洋匡さんが、「結婚してい以来5人の愛人と不倫をしていた」というスクープがあったのを覚えているだろうか?

このニュースを知った人でショックを受けた人は多かったという。

しかし、私はそれほどショックを受けなかった。

なぜなら、前から乙武さんが女性好きだという話は聞いたことがあったし、自分の身体の障がいをネタにしてよくブラックジョークを連発する、というのも聞いたことがあったし、けっこうダークな部分を持っている人だというのも知っていた。😈

だから世間の人が「乙武さんは不倫をしないマジメな人」というイメージを持っているというのは、どこかで「この人のことを普通の男だと思っていないな」と感じる。

この人がマジメで善良な聖人君子のような人だと勝手なイメージを持つ人は、さきほどの24時間テレビとか、メディアの障がい者に対する印象操作にだまされている人なんだと思う。

そして心のどこかで、「健常者と障がい者は同じ人ではない」と潜在的に差別しているのだと思う。

「障がいのある人は不倫なんてしない」「障がいのある人は真面目に地道に生きるものだ」というのは、完全な偏見であり、同じ人間として考えていない。

ビートたけしさんはこう言っている、「体にハンディがあろうがなかろうが、人間の性格や嗜好ってのはそれとはまったく独立したものなんだよ。障がいを持ってる人だって、そうでない人たちと同じように性欲があるし、不倫することだってあるのも当然だ。だけど”障がい者だからそんなことはしないだろう”と決めつけてる人が多い」と。

ちなみにたけしさんは、ホーキング青山さんという「身体障がい者お笑いタレント」さんと一緒に本を出したり、お笑いを一緒にやったりしているそうだが、ほんとうにタブーが一切なくて、障がいのネタをバンバン入れた面白いネタをやっているそうだ。

もうひとつ潜在的な差別を感じるのは、テレビのバラエティ番組に出てくるLGBTの人たち、つまり一般的に「オネエ」と言われている人たちのイメージの付け方だ。

彼ら、彼女らは、ゲイの方が多いと思うけれど、時々過剰にオネエっぽいと思ってしまうことがある。

みんな総じてユーモアのセンスがあってトークが面白いし、気の利いたコメントもバンバン言えたりする。そして過剰に彼ら、彼女らは「男が好き」「男に飢えている」「男が欲しい」感を出したり、過剰に女っぽくなよなよとした話し方やしぐさを見せたりする。

もちろんそのように演出した方が面白いし、視聴者も楽しいと思うだろう。

しかし、実際社会ではゲイの人や女装の人たち、ニューハーフの人たちはそんなに面白いことも言わないし、振る舞いも言動も、私たちと同じで「普通」の人が圧倒的に多い。

つまりテレビで見る「オネエ」の人たちは仕事用に大げさに演技しているということである。

私がパートをしている店には、ほんとうに色んなLGBTの人たちが来店する。

日本人だけではない。海外からも多くのゲイのカップルやレズビアンカップルの人たちも買いに来る。

正直言って、テレビで見るような「オネエ」みたいな人は今までいなかったと思う。

もちろん、見た目はマッチョでカッコイイ男性でも、なんとなくしぐさが女性っぽいかな?少しなよっとしてるかな?という人も来るけれど、いかにもオネエ言葉でテンションが高く「いやあだあ~もおおお~~♬」みたいな感じの話し方をする人は今まで一度も会ったことがない。

そんなメディアの影響か、私たちはLGBTの人たちをどこかで「特別な存在」として見ているのかもしれない。

LGBTの人たち=オネエ、テンションがいつも高くて、面白いことを言って、毒舌で、楽しませてくれる存在、とみんな思い込んでしまっている。

だから、時々「オネエの友達がほしい」とかいう女が出てくる。

しかし、本当のLGBTの人たちはひっそりと生活している人たちが多い。

私の住んでいる周辺にもそういった人たちが何人かいる。

最寄りの駅近くの美容院のお兄さんは男性の格好なんだけれど、常に金髪でオシャレな帽子をかぶり、フルメイクをしており、赤い口紅をいつもつけていて、ピアスとネックレスもしている。しぐさも言葉遣いも女性的でやさしいけれど、物静かだし面白いことを言ったりするわけではない。

市内のショッピングモールの駄菓子屋さんで働いている人も、男性なんだけれど、髪型はボブであり、薄くファンデーションと口紅をしている。中性の方だと明らかに分るけれど、とても静かで特別な個性があるというわけではく、普通にまじめに働いていらっしゃる人だという印象だ。

もう1人は60代くらいの男性で、昔から知っている地域の人で、若い頃から女装家であり、頭からつま先まですべて女性のモノを身につけているが、結婚して1人子供がおり、サバサバとした飾りっ気のない男っぽい奥さんがお父さんで、この男性が逆にお母さんになって暮らしているという感じだ。

この人と一度も話したことはないけれど、格好以外はまったく普通の人といっても差し支えない。むしろ自閉症の息子さんのお世話もしているので、しっかりとした落ち着いた生活を送られているという印象がある。

ここでまとめると、私たちは多数派のことを「正常」だと思い、少数派を「異常」だと無意識に思い込んでしまう傾向があるということだ。だからこそテレビなどのメディアでは障がい者の人やLGBTの人を、勝手なイメージをつけて見世物にしても平気なのである。

私たち人間は悲しいことにどうしても何でも区別したがるし、差別したがる生き物だ。😰

それも意識しないで無意識にやってしまうから注意が必要だ。

同じ人間同士なら、人種や国籍、性別、年齢、障がいがあってもなくても、心の部分はまったく同じであるから、善い人・悪い人も同じくらいの割合でいるのが当然であると考えなければならない。

とにかく差別しないということは「同じ」であると思うことである。

ポジティブな面もネガティブな面も両方に対してだ。

 

みゆさん (◜௰◝)

 

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